受話器から聞こえた第一声はいつものように、こんばんはとありきたりな夜の挨拶だった。他の誰も掛けてこない専用の携帯電話なのに、それだけは普通の電話と変わらない第一声。思わず笑ってしまったシュラに、少しよそ行きじゃなくなる遠くの声。

「何ですか?」
「いや、お前、律儀だなと思って」
「親しき仲でも礼儀ありです。―――それで、あの、ご用件は?」

 まだ、声が聞きたかっただけではいけないらしい。
おまけに電話は耳が痛くなるから、キライですとはっきり云われたばかりである。
確かに小宇宙なら、的確に、言葉を吟味しなくても、意志を伝えることが出来る。

「だけど、恋はセブンシセンシズじゃなくて五感で確かめるモノだぞ。―――って、今、受話器を遠ざけただろ」
「落としそうになっただけです」
「へぇ」シュラの声は完璧に面白がっている。

「何ですか?」
「動揺した?」
「どうして俺が?」

「電話でもいい声だなって」
「……」
「電話で良かったと思ってるだろ」

「どうして、そんなに断定的なんですか?」
「違うのか?」
「……その根拠は?」
「真っ赤な顔を見られなくてすむ……」

 返事はガチャンと切られた。姿が見えないというのはあの礼儀正しい子供でさえ、いつもとは違う感情を引き出すらしい。もちろん、小道具のおかげだけとはシュラは思ってないから、本当のことを云って怒られようか、それともと一瞬だけ逡巡して、シュラはああ、そう云えば気はなっていたことを思い出す。

「そろそろ誕生日だろ、いつなんだ?」
「……」

 一瞬、電波が途切れたのかと思った。所詮は小宇宙を持たない人間の発明した玩具のようなものだ。シュラは目で耳で確かめられるものしか信じない。掌サイズの機械は便利で手軽ではあるが、万能では無い。さて、どうするか。数々の難関は―――すんなり目的の人間に繋いで貰えるとは思えないが、城戸邸の本館へかけ直そうかと迷っている所に、

「……どうしてですか?」幾分、電話のせいではない、小さめな声で質問を返ってくる。
「まあ、だって祝いしたいだろうが。―――ああ、女神が何かやらかすのか?」
「やらかすって、……言い付けますよ、沙織さんに」

「そんなことを気にする我らが女神ではないだろう。―――それで、他に誕生日に予定あるのか?」
「いえ、そうではなく……。オレの云いたいのは、その前の段階で」
「前の段階?」

「どうして俺の誕生日がこの辺りだと思ったのですか?」
「ああ、お前、ライブラの後継だろ。カプリコーンの方が似合うけどな」
「……」

 紫龍は何も答えなかった。又、歯切れが悪くなる。シュラはもう一度、空を仰ぐ。紫龍と知り合ってから気が付いたことだが、どうやら自分は思った以上に忍耐強いらしい。他の誰かなら電話をがちゃんと切ったりするのは男の役目だったが、紫龍だけは別だった。待つということに伴う苛立ちや苦痛は無い。むしろ、自分では決して思いも寄らないなぞなぞを解くのが、純粋に楽しい。声に出来ない吐息すらも愛しい。

「……シュラ?」
「うん?どうした、紫龍」
「ああ、いえ、何の音もしなかったから、切れてしまったと思って」

「それはお互い様だろ、紫龍」
「そうでした、すいません」
「別に謝るようなことをしてないだろ」
 紫龍はそれには答えない代わりに、どちらに居るんですか?と、尋ねた。

「外。待機中でな」
「お仕事ですか?」
「ま、そんな所だ。時間だけはあるがな」

「……」
「だからってお前が気にすることではない」シュラはポケットから煙草を取り出した。
「俺の勝手だから」

「……あの、すいません」
「だから、謝ってくれるな」
「そうじゃなくて、その、……ちょっと、つまらない話をします」

「そこは断る所ではない」
 そうでしたと、紫龍は続けた。「俺が施設で育ったのは、云いましたっけ」
「いや。まあ、検討はついていたがな」

「では、出自が明らかにされない子供は拾われた日を誕生日に当てられるのは」
「―――まあ、そうだろうな」
「だから俺は2月11日、生まれだったんです。ずっと」
それが、何を意味するか判らないシュラではなかった。

「……五老峰で初めて誕生日聞かれた時、2月11日ですって云ったら、老師はそうかって頭を撫でてくれました。イイコだなって。……可笑しいなって思ったんです。生まれた日を云っただけで、イイコなんて。……初めからご存じだったのかもしれない。俺が本当はそうじゃないって」

「って、老師は立てなかったろうが」
「ですから、俺が近くまで寄ってです」
 もう、ソコは突っ込むところじゃないですよと、混ぜ返しはするが、声はちっとも笑ってなかった。

「……その天秤座の聖衣のことがあったので、やっぱり気になって、日本に帰って、施設に確認したら、……拾ったのは確かに二月の朝なんですって。手紙一通なく玄関の所に置いてあったんですって。日本はその日、祝日で、いつもより玄関、開けるのが遅いんす。おまけに雪も降っていて、……生まれたばかりの赤ん坊だったら、ちょっと危なかったかもって……、良かったねって云われました」

だからと、紫龍は話をしめくくった。生まれた日、本当に判らないんですと、笑った。
「ご期待に添えなくて申し訳ないのですが」
「……そうか」

「そうなんです」と紫龍は相変わらず笑っていた。
じゃあと、だから男も笑って云った。「九月の最後の週と十月は毎日、お祝いしようか」
「はっ?」

「だって特定出来ないんだろ」
「ええ」
「でも、天秤マンスリーのどれかなんだろ」

「そうなんでしょうね」
「だったら全部お祝いした方が早いだろうが。それとも365日、毎日お祝いしようか」
「……シュラ、破産しますよ」

「だから、せめて九月の最後の週と十月は全部。もちろん二月も」
「……十月の最後の週が余計です」
「じゃあ他は余計じゃないんだな」と、シュラは云ってくれた。

「・・・・やっぱり余計かも」かろうじて、聞き取れる位の小さな声。
「よろしかったら、10月4日だけで良いです。・・・なんか、その日、みたいですから」
「何がだ?」

「……生まれたの」
「じゃあ、その日はちゃんと開けときなさい。女神に何かを云われても、つっぱねるように」
「善処します。……自信はありませんが」

「もし、くじけそうになるなら、何も要りませんから誕生日にシュラと二人きりにして下さいって云うんだぞ」
「それは俺の望むものではありません」
「そういうことにしておいて、やる」
 はいはいと、適当に相づちを打った後、ぽつりと紫龍は呟いた。

「……電話、たまにはいいですね」
「そうか?今は側に居てやりたかったぞ」
「何でですか?」

 今、泣き顔だからかと、指摘しないでシュラは云う。
「ちゃんと抱き締めて上げられるのにな」
「それだけですか?」

「珍しい。お強請りか?」
「どうして、すぐそうゆうことばかり、考えつくのですか?」
「?お前は違うのか?」

 ぷちっと電話が途切れた。おやおやとシュラがその黒い物体を眺めていると、にゃあにゃあとネコの泣き声がする。正確には電子音。本人と一緒の時は掛かってくることがないから出来る芸当だが、紫龍が知ったら、折角直った機嫌が又、悪くなる。なんてことを考えながら、シュラはもったいぶって電話に出る。

「はい?」
「すいません」直ぐに始まる会話の続き。
「何がだ?」

「その、勢いに任せて電話を切ってしまって。それから、ありがとうございます」
「いえいえ」
「後……」

「何?」
「おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」

「では、失礼いたします」と、云いかけた紫龍が、最後にもう一度、ふふと笑った。
「電話って、やっぱりいいですね」
「じゃあ、そうゆうことにしておいてやる」
「ありがとうございます」

 そこで電話は途切れた。やがて、部屋の電気が消えるのをシュラはしっかりと見つめていた。

 たまには電話もいいですねと云われてしまった手前、ここで顔を見せるのはタイミングを外してしまった。それに今の紫龍はシュラでなくてもいいのだ。温かい毛布と受話器でコトが足りているのなら、わざわざシュラが出張る必要はない。もちろん、心からの叫びであったなら、男は直ぐ様、駆けつけるのだが、そのことを紫龍が知るのはまだ先らしい。それでも良いかとシュラは思う。

 だから今は目覚めたら、隣りに眠る男に、目を丸くするのか、呆れるのか、それとも素直に抱き返してくれるのかは、明日の楽しみに取っておくことにし、ただ電話を握りしめたまま眠る子供の寝顔を見守るだけにした。




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