「氷河、お花見に行くけど、付き合ってくれるか?」
「花見って昨日と同じだろ」

 昼下がりの午後だった。屋敷に紫龍しか居ないのは気配で判っていた。
その彼も台所に籠もっていたので、仕方なくいつもの今のソファで
昼寝を決め込んでいた氷河は、
はっきり云えばヒマをもてあましていた。

いつもなら紫龍の呼びかけに面倒くさそうに答えながらも、
てきぱきと身支度を整えるはずだったが、
今日の彼はひと味違っていた。
ソファの上に寝そべったままだった。明らかに不機嫌である。

「『どうせヒマなんでしょう。だったらここでお昼寝して頂戴。
その代わりこの領地を侵略されたら、
一ヶ月間聖域勤めの刑に処すわよ』

って、何が陣地だ。茣蓙を引いただけじゃないか。
昼寝だって?単なる花見のセキトリじゃないか。
おまけに周りは隙あらば人の陣地を奪取しようという不逞の輩ばかりで、
横になるヒマもなかったし、

花見が始まったとなったらば、どこからか現れた黄金聖闘士どもが、
お前が作ってくれた花見弁当を『在中組はいつでも味わえるもんなあって』
取り上げられて、代わりに渡されたのがコンビニおでん。
酒も折角、持ち込んだビールサーバーで人のを注いでいるうちに終わってしまった。

歌えとマイクを突きつけられて『プラチナ』BYカードキャプターさくらちゃんを歌ったら
『ヒッコメ』と云われて……。俺だけじゃない。
お前だって、酌をしたり、尻を撫でられたりの方が忙しかったろうが。
そーゆーワケで俺は絶対に行かん」

「……お前と俺だけでもか」
 氷河はようやっと起きあがった。
「えっ?」
「お前、昨日は特に接待で大変だったから、仕切直しにどうかと思ってな。
お弁当も特別なの作ったんだけど」

「が、俺はもうセキトリしてないぞ。お前の頼みでも」
 紫龍はにっこり微笑んだ。
「ソレは大丈夫。すぐソコの穴場だから」



「何で昨日はこっちでやらなかったんだ」
 確かに何百何千といった空がピンクに覆われてしまう風景には決して叶わない。
が、桜の老木があって、役目を終えた花弁が静かに根元に降り積もっている。

それだけなのに胸が痛くなる。視線を逸らすことが出来ない。
しかも、それが裏庭だなんて、
この屋敷で3年以上は生活していたはずだが、氷河は初めて知った。

「花見で宴会、ジャパニーズトラデショナルというのが、
昨日いらっしゃった黄金聖闘士の方々のリクエストだったからな。
それにこっちは騒ぐという雰囲気じゃないだろう。何せとっておきの場所だしな」
 
きちんと茣蓙を引きながら、紫龍はそう答えた。
確かに目の前の桜に余計な言葉は要らない。
ただ、愛でていられればそれでいい。

「うん、綺麗だな」「お弁当、食べるか?」
「食べる」
 はいと、紫龍が差し出したソレは、昨日ちらっと見た弁当と少し違っていた。
「花見重に詰めてみた」「ハナミジュウ?」
「お花見用の携帯弁当箱だよ。屋根裏あさっていたら、
出てきたから使ってみようと思ってな」

「綺麗だな」
「昨日も使いたかったんだが、大勢の人数だとちょっとムズカシイだろう」
 黒い重箱には螺鈿細工の銀の桜、一緒に収納されている取り皿に、

鳥の煮物と黄色い卵焼きと菜の花のしらす合えを乗せてくれる。
もう一つの重箱の中には緑の豆ご飯と、じゃこのおにぎり。

「旨いか?」「旨い、―――お前は良いのか?」
「作りながら、適当に摘んでいたからな。―――何か、呑むか?」
「何があるんだ?」
「缶ビールと日本酒とポットにほうじお茶もあるぞ」

「至れるつくせりだ」
「立つの面倒くさいから全部、持って来た」
「じゃあ、酒」

 本当はビールの方が好きなのだが、
花見重に備え付けられている徳利を使わないという手もない。
徳利も桜の絵入りで、お揃いのお猪口も付いている。

「桜を飲み干している気分だ」程良い苦みが口内に広がる。
「旨いな。何だ、これ?」
「台所に合ったのを適当に詰めたから、銘柄までは判らん」
「そうか」

 今度は氷河が紫龍に返杯して遣った。
「ありがとう」
「綺麗だな」「綺麗だろ」
「桜、好きなのか?」
「好きって云うか……、うん、好きなんだろうな」
「綺麗だからな」

 風が吹く度に薄い花びらを散らしていく。
その一枚が、紫龍の黒い髪にまとわりつく。
吸い寄せられるように、氷河の手が髪に伸びた。

「もう、終わりだな」
「うん、でも散り際が好きなんだ」「そうなのか?
「何か生きているって感じがするから……」
 
それきり紫龍は黙ってしまったので、氷河も黙って酒を呑んだ。
 静かに、少し湿った夕方の空気が二人を包み込む。
「帰えろうか」と、紫龍が云わなかったので、
氷河もただ黙って隣に居た。
青色が濃くなり、白い満月が色づいても。
紫龍が小さなくしゃみをする時まで。



「お帰りぃぃ」と、台所で寝そべりながら、
TVを見ていた財団会長がむくりと起きあがった。
「お茶でも飲むって、……あら、氷河だけなの。紫龍は??」
「夜は冷えるからな。風呂場に直行させた。茶、くれのか?」

「飲みたいの?んじゃあ、自分で煎れなさいな。あっ、ついでに私のもお願いね」
 あまりな応対であるが、今日の氷河は機嫌がすこぶる良かった。
何だかんだと云われても沙織のおかげで紫龍と
二人きりの静かな時間を過ごせたのである。
茶の一杯くらい、お安いご用だった。

「でも、知らなかったぞ。あんな場所があるなんてな」
「だって、内緒にしてたんですもの」
「判るけどな」
 あの空間は土足で踏み入れる所ではなく、静かに仕舞って置くところだ。

「でも、紫龍ならともかく、半日中ぼおって桜を見ていて良く飽きなかったわね」
「飽きる?なぜ」
 本当に美しいモノを見る横顔はいつもより綺麗で、
それでいて少し切なく氷河の視線を離さなかった。

「もしかして、ずっと見てたのね。隣を」
「他に何がある」
 いつも以上にきっぱりしている氷河に、沙織の口から盛大な溜息が漏れた。
「聞いた私が莫迦だったけど、本当、貴方って紫龍の気持ちが判ってないわよね」

 最もそれは紫龍にも云えることだった。
「ねえ、綺麗でしょう。お爺さまとのヒミツの場所なの」
「沙織さん。一つだけお願いしても宜しいですか?」

桜の下で紫龍は珍しいことを口にする。
「この桜、氷河にも見せて上げていいですか?」
と、いつも以上に柔らかく微笑む紫龍は、乙女心が全く判ってなかったが。
(ま、それに対する嫌がらせは済ませちゃったから、いいけどさ)

「何か云ったか?」
 いつのまにか使った重箱を片づけていたきちんと拭かれていた。
こっちを振り向いた氷河の手にはホットミルクまで用意されている。
特定の人間にだけ発揮される甲斐甲斐しさは、
どうしても沙織にはマネ出来ないことであった。

「ううん、別に。ただ貴方って本当に『花より団子より』だなって思って感心したの」
 フッと氷河が微笑んだ。誉められた子供と同じ笑顔で。
「お前に誉められるとは、何か裏があるのか?」
「大丈夫、全然、誉めてないから安心しなさい」


 そうして、又、ヒミツが花びらの下に埋まっていく、埋もれていく。
やさしく、やさしく、降り積もる。
四月の夜。桜。










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