恐くないのか、というデスマスクの問いかけに、
「どうしてですか?」と、紫龍は答えた。

「鳥も魚も、米だって野菜だって、……食べられる為に殺されるけど、文句は云わないじゃないですか。それと一緒です」
その声は教会の、弔いの鐘の音みたいに低く響いていく。
「でも、お前はケモノじゃないし、食べられる為に死んでいくんじゃないだろ」
「人間だけが、その連鎖の輪から抜かされていくのは可笑しくありませんか?そうじゃないとしても、
………誰かに食べられて死ぬのは夢でしたから」

「ヘンタイ」
  Sexの極みが人食いというのは聞いたことがある。が、食されたいという人間にお目に掛かったのは初めてだった。
「いえ、そうではなくて………」
 今日の紫龍はいつもよりゆっくりしゃべる。最も戦闘中の彼しか知らないので、あまり比較にならないが。
「俺の身体は俺だけのモノと同じように、空の遠いところからの借り物でもありますから、返す時はきちんと全部、無駄なくしておきたいんです」

「綺麗に骨まで残らずにか?」
「ええ。……ココに来る前に目を上げてきました。正確には角膜ですけど。それから、腎臓と肝臓と肺。血液も半分くらい抜いてきたんです」
「同性と性交渉していると、輸血できないんだろ」
「検査したから大丈夫ですよ」と、紫龍が笑う。

ああ、そうだ。笑う彼も初めて見たかも知れない。
女神によって、もう一度の生は受けたが、デスマスクは他のゴールド聖闘士達と同じようにブロンズや女神沙織となじめなかった。だから、沙織は云ったのだ。

「イイコに黄金聖闘士で居てくれたら、貴方の欲しいモノを一つだけ上げるわ。お金でも名誉でも、何でもね」
「―――何でも?」
「そう、絶対に貴方じゃ手に入らないものでもよ」
「じゃあ、あいつが欲しい」と、男は云った。

 もちろん、自分が持つ、あの空っぽの巨蟹宮に相応しい沈黙の状態で。
その意味を深く考えれば話は反故になるはずだった。
彼は飼い慣らされるつもりはなかったし、女神がやすやすと紫龍を手放すはずがなかった。
ましてや、紫龍が自ら死に顔になりに来るとは思ってもみなかった。

白い花のような、今まで戦場で見たことの無い顔をして。
デスマスクは怒りに身をまかせ、髪を逆上げる彼しか見たことがなかった。
そのギャップの激しすぎる穏やかな微笑みが返って男を困惑させた。

「………お前、本当は死にたかったのか?」
 それがデスマスクが譲歩できるギリギリであった。だが、紫龍はあくまでも彼を否定する。

「生在るモノは全て他人の意志を反映して生まれてくるんです。
じゃあ、死ぬ時だって他人の思惑があってもおかしくないじゃないですか。人は死にたくて死ぬじゃないんです。
死にたくなくても、死んでしまうんです。……そうやって人を殺めてきてから、今度は俺の番なんです。
それだけなんです」
「だから、女神の命にほいほい従うのか?あいつがそんなにエライのか?」

 紫龍はさらりと言い返した。
「彼女のおかげで生を得られたのでは?
それにエライとかじゃなくて、聖闘士はすべからず彼女に関わって死んでいくのではないのですか。貴方も」
「俺はそんなヘマはしない」
「その願いを持つという時点で、すでに縛られていると思いませんか?」
「……俺にはワカラン」
「俺だって、こんなモノを欲しがる人の気持ちが判りませんよ。歩きにくかったですし、あの宮」

 俺もそうだったと正直に答えると、紫龍は声を発てて笑った。男も釣られた。
そうやって、ひとしきり笑った後、又、沈黙になった。
あんまりにも静かすぎて紫龍の首から流れる血の音さえ聞こえてきそうだった。

彼は顔色を白くして、男を見ていた。黒い目はまだ、はっきりとしていた。
うめき声一つあげなかった。そして、又しても負けたのは優位に立っているはずの男の方だった。

「………お前が死んだら、俺はアチコチに恨まれそうだな」
「俺が死んでも世界は変わりませんよ。俺が生きていても何も出来なかったように」
「だったら、死ぬ必要も無いじゃないか」
「そうもいきません。―――約束ですから」
「それだけの為に死ぬのか?」

「結果がそうなっただけです」
「―――何故、お前の命はそんなに軽いんだ」
「よく云われます」
「じゃあ、俺に殺されれば良かったじゃないか、あの時にさっさと、冥府に大人しく落ちていれば、そうすれば………」
「―――何を、泣いているんですか?」

 紫龍は不思議そうな顔をした。もう、力の入らない指先で、彼の顔を撫でる。
冷たい手が少しだけ触れる。いや、冷たいのは――――彼が流している涙。
もう、枯れてしまったと思っていたモノだった。そして、それが紫龍の最後の言葉になってしまった。




「あら、本当に殺しちゃったのね。―――莫迦な人」
「莫迦はお前だ」
 既に冷たくなった亡骸を抱えたまま、デスマスクは女神に呻いた。
「どうして、何でも叶えてくれるなんて云ったんだ?」
「だって、あの人が何でもしてくれるって。だから、云ったの。
『私の為に死んで頂戴って』あの人、少しだけ目を丸くしただけですぐに微笑んでくれたわ」

「つまりお前はこいつを試したかっただけなんだ」
「時計を進めただけよ。だって、どんな未来を選んでもあの人は私のせいで死んでいくんですもの。
だけど、あの人が一言、止めて下さいって云ってくれたら、私はその願いを叶えてあげたわ」
「―――そうだな」

似たようなことを紫龍が云っていたのデスマスクは思い出す。
誰も、女神も自分もそして、こいつも―――自分を譲れなかった。それだけなのだ。
長い沈黙、の後、少なくともデスマスクにはそう感じた―――女神はのたまった。

「ともかく約束は守って貰うわ。あの人のようにね」
「イイコってのがよく判らんがな」
「簡単よ。そこにあるデスマスクだけで我慢するの。簡単でしょう」
「嗚呼、そうだな」と、機械的に答える。しかし、男は紫龍を抱きしめたままで動けないで居る。
「………やっぱり貴方も単に紫龍を困らせたかっただけなのね。仕方のない人」
「そうなのか?」


 判らない。
ただ一つはっきりしているのは、デスマスクが欲しかったのは二度と物言わぬ彼ではなかったということであった。






 そして、男は口付ける。跪くように、その透明な微笑みに。この宮に飾られる最初で最後のデスマスクに、接吻を一つ。



FIN




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