「面白いか?」
「はい、とっても。ありがとうございます」

 幕間の国立劇場のロビーは中世の社交場そのものだった。スペインに憧憬を抱くモーリス・ラヴェルの作品を何作かピックアップしてオペラやバレエでコラボレーションするという一日だけの企画公演は予想以上の盛況を見せていた。出演者も世界を股に掛ける超が付く一流の歌手であり、プリマであり、オケは国立のシンフォニーが務め、子供でも知っているような有名な指揮者が一堂に会すというのも珍しく、ファンには堪らないステージは当然のごとくプラチナチケット。

おまけに少数の一般客が帰った終演後には出演者でもあるプリマの婚約披露パーティ催され、相手は他ならぬマエストロという鼻につくくらいの豪華絢爛ぶりである。当然のように招待客もそれなり厳選されている。
あちらにいるのは国務大臣と官房長官、財界の大物とハリウッドデビューを飾った女優、新進の画家、業界のカリスマ美容師、ファッションデザイナー、大衆紙のグラビアのページがそのまま抜け出してしまった云っても過言ではないだろう。もちろん、ざわめきあう楽しげな笑顔の裏には、悪意、嫉妬、欲望、地位と成功、富と名誉を掴む為の権謀術数が隠されている。

 ああ、変わらないなとシュラは思う。劇場は刃物を持ってない着飾った戦場だ、いや、だからこそタチが悪いのかもしれない。ココにいる人々は自分の手が汚れることを知らない。その中で唯一、あの頃と違うのは、そんな連中の話題のマトになっているのが、本日の主人公のゲイのウワサのあるマエストロと恋多きプリマの結婚生活が、いつまで保つかという下世話なウワサ話でも、その前の恋人のオリンピックのメダル候補が起こした刃傷沙汰でも、現在彼と熱愛中のシンガーでもなく、シュラの隣でコクコクとスパークリングワインを飲み干し、2杯目の白ワインにも手を出しているお子さまであった。

 ある程度は予想していなかったといったら、嘘になる。西洋人が何処かで焦がれるオリエンタルビューティーの結晶、少しは目立たせない為にとベージュのリボンで髪を軽く一纏めにし、チャイナじゃない、普通のスーツを―――
「シュラ、結婚式ではないのですが」と、カワイイジョークを飛ばした紫龍に着せたベージュのツイードに茶色のシャツ、濃いピンクのネクタイは見立てが良かったせいか、換えって愛らしさが引き立ったらしく、無駄な努力に終わったようである。

紫龍自身は人目を引くタイプというのではないのだが、きらびやかなネオンの洪水のような男女の中では換えって目に止まるかもしれない。美術館のフリースペースの緑だけの中庭でほっと息を付く人々のように。その清涼は良くも悪くも人の視線を集めてしまう。だけなら、まだ許そう。だが、身の程知らずにも終演後には、お茶やら食事やら酒やら、その先のお付き合いを狙っている輩のまがまがしい視線も、気が付くと紫龍はにっこりと微笑みを返す。本人は単なる挨拶の範疇を越えてないが勘違いした輩が後を絶たない。そんな勘違い野郎を恫喝し、萎縮させるの繰り返しに、いささか辟易したシュラが紫龍に注意を促そうとしたが、

「どうかしたんですか?」と、顔を上げた紫龍を見て考えを改める。恐らくこの会場で唯一といってもイイくらい、子供のように目を輝かせ、実際シュラから比べれば子供なのだが、オペラというか、劇場そのものを素直に楽しんでいるのに水を差すのは忍びないし、この美貌を見せびらかして羨望の的になってるのも悪い気分はしない。それにウワサになった方が都合が良いことも思い出される。

「何でもないよ」と、髪の毛に唇を寄せる。いつもなら目くじらを立てるのだが先程渡したワインが効いているのか、それとも雰囲気も酔いしれているのか、
「だめですよ」と、小さな声で諫める程度だった。 
「何でだ?」可愛さにもっと追いつめたくなる。
「だって、ココはバレエを見る所だからです」
「いちゃいちゃ、する所じゃないと」
「そうです」
「でも、お前、寝ていただろ。幕間、近くに」
 紫龍は耳まで真っ赤になって非礼を詫びた。「すいません」
「字幕を追っている内になんだか……」
「昨日も夜眠れなかったもんな」
「誰の所為ですか?」
「お前がカワイイからだろ」

 怒るより先に持っていたグラスを取り上げられ、その甲に、掌に口付けをされる。
払い避けようとすると、蝶のようにするりと飛んでいってしまうので、紫龍はとりあえず話題を変えようとやっきになる。

「あー、シュラはよく見ていたのですか?」
「何が?」
「オペラとかバレエとかです」
「まあな。知り合いがチケットくれたりとか、ツレが見たいとか色々」
「そうなんですか」

 あまりにも真っ当で当たり前の反応だから、つい意地悪をいってみたくなった。
「気にならないのか?」
 すると、大きな目が三度、瞬いて、
「何がですか、シュラ?」

 周りの青銅に比べると大人びているので、失念していたが、紫龍はやっぱり子供でシュラが最初の恋人なのだ。かけひきや恋愛を楽しむという概念がない。舞台上の旦那の留守に浮気を楽しむ若妻、コンセプティオンやプリマとは違う。紫龍の気持ちは一つに決まっている。シュラの側に居たいから一緒に居る。いや、恋愛に限ったことではない。全てに対して、真摯に同じ態度を取る。

何処までも貫く痛みを知っているくせに、血を流しながら抗い、前に進もうとする。出来たキズを見ないフリをして、シュラがあの時、無くしてしまった生き方をそのままに。ああ、そうだった。普段は当たり前過ぎて、つい失念していることが甦る。だからこの子を生かしたのだと。同時に感謝したくなる。今、隣りに居てくれるのが紫龍であることに。
「―――シュラ?」
 いきなり手を握りしめられて、紫龍が慌ててシュラを見上げた。耳まで真っ赤になっている。

「―――どうした?」
 いつもの、焦らす為の意地悪ではなかった。キスもして、それ以上も恥ずかしい所も全部、触れている。今更、手を繋ぐ位で慌てる必要ないはずだ。
「あっ、いえ、やっぱり何でもないです」と、云うと紫龍はぎゅっと手を握り返した。固く。その自分を見つめる顔はまるで何か決意をしているようであった。まるで初めてキスした時のように。

「……帰るか」
「えっ?あの、でも、パーティまでご招待されたのでは?」
「まあな。でも、義理と目的は果たしたし」
「目的って??」
 シュラは素早く紫龍の唇を瞬間だけ、かすめ取ると、ニヤと笑って見せた。

「ナイショ。あ〜でも、お前は折角の舞台だもんな。最後まで見ていきたいか?」
「いえ、御招待されたのはシュラですから、合わせますが……」
「そうか?まあ、寝ちゃうしな、どうせ」
「……それは云わないで下さい」

 口を少し尖らせた紫龍の頭に手を置く。シュラが笑ってくれている。男は優しくて、いつも自分の為に柔らかく微笑んでくれているが、楽しそうにはめったにない。
―――まあ、いいかと紫龍は機嫌を直すことにした。折角、珍しいものが見えたのだから。
「そう云えば、どんなオペラだったのですか、アレって」
「帰ったら、教えてやるよ。―――ベットの上で」

 シュラはその手をもう一度、握りしめた。ロビーの赤い絨毯の上を花道のように通って。始まりの場所に還るために。



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