あの日から男はいつも疲れた顔をしていた。
「シュラ」と、呼ばれて振り返る彼の顔には眉間の皺がデフォルトになっている。
「大丈夫か?」と、思わず漏れた一言に、
「何が?」と、聞かれるとミロはいつも困惑してしまい、何だろうと考える。

彼は確かに超過労勤務だった。聖域に仇するものを滅するために奔走していた。
もう一人の同じ年の銀色の髪の男とともに、血で汚れる仕事をほとんど二人でこなしていた。
屍の山を何時も、2人で築いていた。他に黄金聖闘士も、下級聖闘士も存在しないかのようだった。

そんな彼のやり方に不満が無いといえば嘘になる。
いつまでたってもの、子供扱いも腹が立った。だが、それ以上に心配だった。
彼の心を蝕んでいるのは超過労勤務でも、
滅しても後から、後から湧いてくる敵の所為で、
地上の平和はいつも遙か遠くの高みにあることではない。
理由は判らなくても原因は判っていた。――――あの男が聖域を裏切ったこと。
だからこそ、自分が何も出来ないことを。
ならばせめて。

「それは任務か?」教皇の執務室から、書類を抱えて出てきた自分に彼がそう尋ねる。
「ええ、俺もこう見えても黄金聖闘士ですから」
「こう見えてもは余計だ」と、くすりと笑った彼は一瞬だけあの人が生きている頃のようだった。
自分は知っている。ああ見えて、彼が自分には時折、あの頃と同じ優しさを見せてくれることを。
だが、

「どれ」と、束になっていた書類を取り上げられると返されるのは数えられる位。
いつの間にか、彼の手にほとんど残っている。
「って、何をするんだ」
「譲ってくれ」と、彼は続ける。
「ここに居るより、気は休まる」
 言葉より瞳で恫喝されれば反論の余地は無く、ミロに出来るのは彼を黙って見送るだけであった。

 結局、自分たちは子供だったのだ。
 全ての罪が明らかになり、どさくさに紛れて聖域が新しい秩序を取り戻した今なら判る。
 なぜ、男が総てを請け負ってきたか。ひたすら、鬼と呼ばれ、悪魔と陰口を叩かれながら、
 その名を甘んじながら、戦い続けてきたのか。彼は守ってくれていたのだ。
 何も知らない、いや、知らないままでいられるように。

 もし、女神が真の女神として聖域に降臨し、彼らの正義が覆された時、
 そして、罪人として糾弾を受けた場合、
 聖域の被害を最小限に留めるように。その手が血で汚れても、悪には染まらない、
 ただ、まっすぐに正義で居られるように、そんな風にミロ達後輩を守る為に、
 優しい彼は修羅の選んだのだ。    昼も夜も、春休みも、GWも夏休みも秋休みも、正月休みも返上し、
 ただ、聖域の為に。
「つまりさ、その頃の不眠不休?不撓不屈?
ともかく、24時間闘えますか?の百戦錬磨な男がさ。
漸く任務と重荷から解き放たれ、そのあり余った時間と全エネルギーが総て自由になったら、

やらずには居られないよね。
やりまくりだよね。

で、一極集中つうの?
その男のエネルギーを全部、受けてるドラゴンちゃんもエライよねー、
流石、ヤマトナデシコだよねえ」 と、しめくくって、サーシャ小母さん特製のサンドイッチをぱくついたミロに、
それでもデスマスクは一縷の望みを抱かずにはいられなかった。

「えーと。それで?」
「それでって?」
「しまいか、お前の話」
「おかしいですか?」
「いや、おかしくは無いと思うのだが、
……出発があれで、オチがそれで本当にいいのかと、聞いているんだ。

その、なんというか人として

「えっ?おかしいですか?ドラゴンちゃんはヤマトナデシコって話し」
と、ミロは小首をかしげる。
20才を過ぎた男の仕草とも思えなかったが、デスマスクは勇気を振り絞って最後通告を試みる。
「ファイナル・アンサー?」
「それが何か?」と、駄目押しをされると、
向かいの席に座っていた教皇はしみじみと蟹を呼んだ。

「なんすか?」
「いいから、ココに座りなさい」
 いいからも、何もここは聖域の教皇の執務室で、
 なぜかいつものメンツとなりはてた教皇と、
 食堂のおばさんと、後輩と麻雀の最中で、
 すなわち、教皇の右隣は自分で、たまに、牌をのぞき見ようとして、
 まあ、本当に見ちゃうのはマレなんだけど、つまり、近くに座っている状態で、
 それをわざわざ強いられるというのは……、
 
「でも、座ってません?」
 空気を読まないにも程がある後輩に溜息を付きつつ、デスマスクは襟を正す。
「何でしょうか、猊下」
「お前たちが、あの暗黒の時代によくやってくれたのは判るよ」
「ありがとうございまっす」
「その証拠が今、こうやって、ミロやサーシャさんと、
平和に静かに麻雀を打てることだからな」

 何が心静かだとも思う。
 自分の時間つぶしに部下を使いやがってと毒づきたいが、
 デスマスクはペコリと頭を下げるだけにする。
「お褒めにあずかり恐悦至極でっす、げーか」
「でもさ〜、今更云ってもしょうがないが、
あれとか、これとか、それ、コイツとかさー、もうちょっと、というか、大分?
人類として、なんとかならなかったのかなあと、思うんだなあ、これが」

「それって、俺だけの所為ですか?」
と、負け戦は初めから判っている反論を唱えようとした瞬間、
「まあまあ、教皇様」と、食堂のビックマザーが口を挟んでくれた。
「蟹様は良くやってましたよ。 実際。5人の若様達をりっぱいに黄金聖闘士にしたじゃありませんか。
勿論、それだけではありません。
おねしょの世話から、お酒の飲み方、報告書のごまかし方も、
そして、ナンパ。あの厳しい暗黒の時代を通り抜け、
5人のおぼっちゃま達がりっぱな黄金聖闘士になられたのは、
蟹様のおかげと云っても、過言ではありませんよ。

時にはりっぱな反面教師として
確かに、蟹様は給料日前には必ずと云っていい程、社食でツケでした。
でも、お支払いは必ずといっていいほど、チップをはずんでくれました。
私には判ってます。蟹様はそうやって、私らを労ってくれる為に、
わざとツケをして、照れ隠しに、チップをはずんでくれたんですよ。
まあ、ほんの二割増す程度ですがね。
でも、この微妙な数字が蟹様の愛しい所だと思いませんか?
……って、なんの話でしたっけ?

そうそう、ともかく蟹様はよくやって下さいましたよ」

「三度に一度は後輩から、たからなければ、もうサイコーの先輩すっよ。あっっはっは」
 サーシャ小母さんの場合は段々、フォローじゃなくなっていくのは判りきっていたことだが、
 諸悪の根源でもあるこの男にトドメを刺された時は、目の前が真っ暗になってしまった。  涙が滲んで前が見れなかったから、思わず、振り込んで、ミロに点数棒を渡すハメになる。
「わるいっすねー、センパイ。
にしても、小母さんのサンドイッチ、本当、うまいっすよね〜。
このマヨネーズの絶妙加減。レタスのしゃりしゃり感と卵の絶妙なコンビネーション。
そして、厚切りのハムといいトマトいい、
俺、このサンドイッチが楽しみで、麻雀、ウチに来るようなものっすから」

「まあ、ミロ様。お上手。さあ、このケーキも召し上がれ」
「いやいや、メチャンコマジで」
と、何処までも明るく食欲の塊で又、大口を開けて苺をぱくついている男を一瞥すると、
「悪かった、デスマスク」と、珍しく教皇が深々と頭を下げる。
「世の中にはどうにもならないこともあるんだなということを、失念していたよ」
うるっと又、涙が滲んだ。だが、先刻とは違う熱い喜びの滝涙だった。
「 いいんすよ。他ならぬアナタがそう判ってくれれば」
「蟹!」

「猊下」
 もう、二度とあの頃に戻れるなんて無いと思っていた。
 なぜなら、加害者であり、男は被害者だった。そして、
 今、男は自分の直属の上司であり、
もっとも適する言葉を当てはめるなら、自分はしがない中間管理職だった。
 だが、しかし、この瞬間、二人の男は13年の時を経て、ようやく判りあえることが出来た。
 最もそれはほんの一瞬のことで、すぐにカニとかアフロディーテとか、
 ロリコンのムッツリとかいるから、責任とってもらおうと、
 どうせ俺らが尻拭いすることになるんだろうなになるが、

 ともかく男達の思いは一つにしていると、サーシャ小母さんが、
「ええ、それに、そこまで悲観するものではありませんよ。猊下、蟹様」
 と、熱い抱擁を交わす二人にやはり涙を禁じ得ない聖母は優しく口添えした。
「確かにスコーピオン様はちょっと、思慮にかけている所があります。
食堂の新米コックなら、裏口に呼び出している所です。賄い抜きです。
コンコンお説教です。ですが、スコーピオン様が全然、全くチョーダメってわけではありません。

何しろ、丈夫です。頑丈です。

ある日、食堂のB定食限定で食中毒が出たのですが、スコーピオン様だけ無事でした。
おかげで、保健所から休業の宣告を受け取らずに済みました。
食堂の影のヒーローです。先代のスコーピオン様の当社比200、いえ300%です。
叩いても壊れません。それだけでもう、十分ではありませんか?」

初めて学校に行く小学生レベルかよと、思わずつっこみたくなったが、
まあ、それも一利あるなあとデスマスクは考えを改めた。
この性格で病弱だと考えたら、恐らく介護当番に組み込まれる自分の身が保たない。
毎日、モモカンを買いに行かなくてはいけないなんて、ゴメンだ。
「アナタの仰る通りだ、サーシャさん。人間、多くを求めてはいけないのでしたね。
又、一つ勉強になりました。
これからも聖域の為にご尽力を賜ることをお許し願えるでしょうか?」

「いやですよ、猊下ったら、水くさい。
でも、その杯はロンですから。それはお許し下さい」
「あはは、やはりサーシャさんには叶わないなあ」
と、一同和やかに笑っているところに、
どこか話においてけぼりにされていた本人がようやく口を開いた。

「あのさっきから猊下や蟹先輩やサーシャさんは俺のことを云っているんですよね」
「おお偉いな。ちゃんと気がつくなんて」
「そりゃあ、スコーピオンを連呼していましたからね。
それで気になったんですか……、一つ質問してもよろしいですか?」
 珍しく丁寧に断りを入れた男は食堂のご婦人にこう云い放った。
「どうして、サーシャさんは、そんなに先代の黄金聖闘士について詳しいのですか?
もしかして、サーシャさん、先代の女神様ですか?」

もちろん、デスマスクだって一回や二回位は考えたことはある。
彼女の風格、なにより豊富な先代に対する知識。そして、その麗しい名前。
しかし、その疑問を口にするのはある種のタブーだった。
なぜなら、
「ミロ様。それは、このワタクシがシオン様や童虎様と同じ年マイナス4つとでも、
仰りたいのですか?この私が」

 サーシャさんは簡潔に返事をくれた。
 だが、その目は笑って無かった。
 おまけに彼女が持っていたマンズの牌が真っ二つに割れ、
 ミロは口からサンドイッチをぽろりと落としてしまった。
ともかく、こうして、ミロは初めて、小母さんのケーキを残すという醜態をさらし、
かつ装備に『口は災いのもと』を取得した。

あのスコーピオンに”レディに年を聞いてはいけない”を覚えさせたサーシャ小母さん。
流石は僕らのサーシャ小母さん!
しかし、サーシャ小母さんの改心撃は止まることを知らない。


頑張れ、サーシャ小母さん。
いけいけサーシャ小母さん。

地上の愛と平和を守る聖域に平和をもたらし、蟹様にお嫁さんが出来るその日まで。





 


         

     

Fin









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