女神が正しく光臨されてからというよりは、
その男に小さな恋人が出来てからといった方が正しいだろう。
黒い髪の麗しき佳人のおかげで黒の聖剣といわれた男にも柔らかい笑みのようなものが、
浮かぶようになって久しい。

あの頃、食堂なぞ利用することもなかった男は、他の者に混じり、
プラスチックのだいだい色のプレートを持ち、食堂の自称(聖母)、サーシャの前に並んで、
「ラーメン一つ」と、食券を差しだしている。そんな男にサーシャは自然と笑みが浮かんだ。

「どうしたんですか、今日は。お珍しい」
「ああ、紫龍が随分とひいきしているようだから、一度くらいはと思って……、どうしたんだ?」
 前掛けを目尻に当てた古参の賄い婦にシュラは驚く。

「いえね〜、嬉しいんですよ。カプリコーン様がちゃんと。三度三度、お食事をお目しあがるようになって。
これも、それもみんな、ドラゴンちゃんのお陰ですね」
 ドラゴンちゃんという云い方には多少、引っかかるモノがあったが、それでも、
「そうだな」と、返事が出来る自分は確かに変わったのだとシュラは思う。

あの頃の自分は”聖闘士”であったが、”人”では無かった。
そんな自分を心配する友や彼女のような存在を疎んじていたのも事実だ。
そのくせ、今は同じようなことをあの子に口うるさく繰り返している事実に、又、笑みがこぼれる。

「本当にすっかりお変わりになられて」サーシャは涙が止まらなかった。
「女なんて穴が開いていれば誰でも一緒だなんて云ってたくせに、
いつも手を出すのはべっぴんばかりの、カプリコーン様がよりにもよって、
穴が一カ所しかないドラゴン様をお選びになるなんて、人は変われるものなのですね」
「……」

 その発言に覚えがないとは云わない。いや、云えない。
すっかり記憶の彼方にはなっているのだが、過去の自分なら、そう口にしても可笑しくはなかったし、
いくら向こうから云い寄ってくる相手とはいえ、聖域に居る数少ない仮面の付いてない女を食い散らかし、
最終的には辞めていく女達の後始末をした彼女にちくちくとイヤミを云われ続けたのは事実なのだから。

とはいえ、月並みな云い方であったが、シュラはあの頃の自分に対して、卑下するつもりも、恥じるつもりも無い。
自分の人生で必要な時間であったと思えるのは、紫龍のおかげだろう。
あの時、磨羯宮で紫龍に敵として遭遇しなければ、紫龍の真実の美しさにも、
彼の持つ哀しみにも同時に触れることは無かったのだから。と、云っても、だが、しかしである。

「あの、サーシャさん」
「どうしました、カプリコーン様。ええ、もう大事なことだからもう一度、云います。拡声器の音量も大にしちゃいます。

穴が有れば何でもいいって仰っていた、
カプリコーン様が
なんてりっぱに、
大きくおなりになったのでしょう」

「何の話をしているのですか、サーシャさん」
 悪いことはどうやら重なるモノで、待ち構えていたというタイミングで現れた教皇に、
「あら、猊下。いえね、ちょっと昔話をしていたのですよ。ええ、喜ばしいことですから、
もう一度、リピートアフタミー。カプリコーン様はね、……んがとっと」

 核心を突かれる前に口を塞ぐことに成功した黄金聖闘士は、聖域の裏ボスににっこり微笑みかけた。



「というわけで、カプリコーン様は私の今までの忠勤に免じて、この靴を買って下さったのですよ。フェラガモです」
「ふーん、そうなんだ。良かったね」
 デスマスクは彼女の足に踏みつぶされ、過労死寸前の赤と茶と黄色の市松模様の靴に同情しつつも、
表面上は笑顔で取り繕った。相づちは円滑に交渉を進める為の大人のテクニックである。
「でもさー、食堂には合わなく無いか、そのヒール。転んで腰でも打ったら、コトだよ」
「本当に蟹様はお優しいですね。でも、ご心配は無用です。
ただ、他ならぬ出資者の方にこの勇姿をお見せしたかっただけでですから」

 デスマスクはさっき彼女に渡されたばかりの請求書と、すでに昔の面影を無くし、
びろんと広がった靴を見比べてもう一度、ため息を付いた。
「だから、何で俺がエロ山羊の買い物のつけを払わないとならないわけ?」
「曰く、デスマスク様はカプリコーン様に借金がお有りだとか。
友達に甘いあの方はうまく取り立てが出来ないので、このような形を取らざるえなかったと」

「あいつが甘いのはクソ生意気な小僧だけじゃないか。
つうか、おれが奴に負けたのはワンコインなんですけど」
「残りは利子だそうです」
「十割かよ、闇金かよ」
「ついでに、朝の缶コーヒー代、126本分も含まれているそうです」
「えっ。アレ、おごりじゃ無かったの?マジ?つうか、いちいち付けていたの?せこっ、ありえねえぇぇぇぇぇ」

「ありえねえのは、デスマスク様、アナタ様の方です」
と、サーシャは大きな溜息を付いた。

「全く何時までも往生際が悪いんですから。こんなんだから、
何時までもお嫁さんのなり手が居ないんですよ。
この赤と茶色と黄色の市松模様のヒールとファーがついたリボンタイプ、どちらかにするか悩んでいたら、
両方、買えばいいのにと仰って下さったカプリコーン様を少しは見習えっていうものです」

「いや、でも、金を出す気無かったら、あの山羊」
 その肝心な一言をしかし、サーシャは聞く耳を持たなかった。

「ええ、本当にあの方は紳士でしたわ。
試着の時、わざわざ靴を脱がして下さったんですよ」

「って、えっ?おばちゃんのをかい」
「何を仰いますやら。カニ様ならともかく、そんな事実が明らかになったら、
聖域にある山羊様ファンクラブの若い娘っこにハブにされますよ」
「俺ならいいんだ」

「ですから、ドラゴン様のをですよ。こう、立て膝をついて、うやいやしく、ドラゴンちゃんのおみ足から、
靴を脱がせて、ああ、その唇が指先に触れそうだけど、触れない?
みたいな。絶妙なライン。これ以上は言葉に出来ませんわ」
と、その言葉通りにシャッターチャンスを逃さなかったサーシャおばさんにデスマスクはげんなりする。

「つうか、これ盗撮じゃね?」
「山羊様のPCにお送りしましたから、問題はなしです」
「あっ、そう〜」
「そいで、靴屋を出た後に喫茶店ででケーキをご馳走になりました。
おいしゅうございましたわ。スコーンにサンドイッチに、タルトタタンにチョコとクリームの二色のアイス」
「それ、食いすぎじゃね?」

「仕方がありませんわ。だって、執事喫茶はコースメニューしかおいてないんですもの」
「なんで三人仲良く執事喫茶よ」
「ちなみに、ドラゴン様が新しい靴で靴ヅレを起こしたので、山羊様達はホテルに消えていきました」
「おばちゃん、それ捲かれたって、いわね。あっはっっは〜、って、えっ?」

 その瞬間、デスマスク信じられないものを見てしまった。
それは前掛けで目尻の端で押さえているサーシャの姿だった。
 地元の村でストが起きて食材が入らなくとも、コックが教皇宮から戻ってこなかったとしても、
何時も笑顔で苦境を乗り切ってきた逞しい夫人の初めて見る真珠の雫に、デスマスクが狼狽えていると、

「お前は公共の場所で何、ご婦人を泣かせているんだ。黄金聖闘士がみっともない。恥を知れ」
と、今にも持っていた橙色のプレートで天誅を行おうとする子供に、しかし、直ぐ様、取りなしが入った。
「いえ、違いますよ、ドラゴンちゃん。目にゴミが入っただけなんです。ねえ、蟹様」
「って、ああ、うん。そうみたいだな」云われてデスマスクは持っていた請求書をポケットにしまった。
そうするしか無かった。

「本当ですか?もし、又、この男が悪さをするようなら、いつでも仰って下さいね」
 って、泣かしたのはお前とエロ山羊じゃねえかという悪態を吐くほど、デスマスクは愚かではなかった。
「もしかして、新しい靴か」
「そうだ。よく判ったな」
 それはベージュのローファーだが、ブランドの意地か、随分と細身に仕上がっている。
「少し慣らしておこうと思ってな」
「だよなー、ホテルでそうそう休憩は出来ないものな」
「だから、公共の場で品の無いことを云うな」

「ホテルで休憩はよくするだろう、お茶とかケーキとかで。
それともいかがわしい行為をするから品が無くなるのでは?」
「だから、そうゆうことを云うな!」と、結局、いつもの口論が始まったので、
似合うじゃねえかと言いそびれた男が、しかし、知らないことがもう一つ。

 この愛すべきご婦人が、新しい靴を履いて、転び掛けた自分を山羊様が、
優しく抱きしめてくれたと日記には書いたことを。


Fin









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