「ローマの休日をしない?」と、最初に誘ったのは白いカクテルドレスを誰よりも

鮮やかに着こなしている沙織だった。

その胸には彼女の誕生石であるサファイヤを青い薔薇で象った

ブローチが揺れている。

「ヘップバーンのファンに首を絞められるぞ」

「あら、そんな不埒者から護ってくれるのが、あなた達、聖闘士のお勤めじゃない

のかしら」と、相変わらずのくったくの無い女神さまであるが、その任務も時には

選びたくなる。

「大体、これはお前の誕生パーティじゃないのか?」

「一時間前はそうだったけどね」

 氷河は改めて広いパーティ会場を見渡した。料理もあらかた食い尽くされ、出

席者達は友好を温め合ったり、懐を探り合ったり、陰謀を企てるのに忙しいよう

だ。屋敷の主人でもあり、パーティの主賓でも有る沙織が居なくても、誰も気が付

かないだろう。恐らく、ただ一人を除いて。

「────紫龍は?」

「さっき黄金聖闘士に捕まっていたわ」

 固有名詞を上げないのは、ダンスのパートナーを変えるように、グラスを傾け会

話を楽しんでいる人物が違うからだろう。紫龍だけは律儀にホストの役割に勤し

んでいた。

時折、腰に手を触れられてもやんわりというか、思惑に気が付かないで、その手

にグラスを握らせたりしている。主催者の一任である以上、招いた人間を丁重に

もてなす使命モエモエだった。始まった時と同じテンションで、変わらぬ愛想を振

りまいているが、その横顔に少しだけ疲労の色が見えないこともない……ような

気がしないでもない。

「でも、私たちが逃げ出せば、あの人絶対に探しに来てくれるわよ。そしたら、飲

んだくれのスケベジジイやセクハラオヤジとバイバイ出来て、あの人もちょっと一

息付ける

かもしれないわね。────どうする?」

 沙織の形崩れてしていないワインレッドの唇が妖しく笑みを作る。商談は成立し

た。氷河はダンスを申し込むように沙織の手を取ると、そのままテラスから庭へ

降り立つ。現役の聖闘士なら造作もないことだ。そして、夜の街に身を躍らせた

二人は良い店を知っているという沙織の意見を尊重して、公園前に有るおでん屋

の屋台に腰を下ろした。行きつけなのか、イブニングドレスの派手な格好の沙織

にも、店の主人は笑顔を見せた。

「いらっしゃい、久しぶりだね」

「小父さんもお元気そうで何よりよね」

「ありがとう、今日はどう致します?」

「いつものお願いね」と、微笑む沙織は財団の執務室で見るのでも、聖域の玉座

に腰を下ろしているときとも違っていた。よく云えば自然、悪く云えばハメを溝板

のように外していたが、いつもより明るい笑い声に不思議と杯が進んだ。まずパ

ーティに来ていたおつき合いすると財団には有益らしいボンクラとお人形のうわ

さ話に花が咲いた。それから話題に事欠かない黄金聖闘士、後は身近な人たち

、相変わらずな辰巳、変わらない一輝、同じく瞬、成長の跡が見えない星矢……

、そして、気が付いた時には沙織の手にはしっかりと一升瓶が握られ、何度目か

の返杯と一緒に氷河の耳元に妖しい吐息を吹きかけた。

「────コクっちゃえばいいのに。紫龍に」

 氷河の驚きを無視して、大根とはんぺんと卵に夢中だ。

「コクる……って?」

「好きって云って押し倒すの」

 何処で覚えてきた判らないようなスラングを沙織はそう説明した。

「ダメだったら、修行地に泣いて帰ればいいのよ。北国だし、丁度いいじゃん」と、

そのままきゃらきゃらと笑い転げる。

 酔っぱらいには何を云っても仕方がないことであるが、つまらないジョークを笑

い飛ばせるほど、氷河は穏和には出来ていない。それに彼自身、沙織ほどでは

なかったが酔っていたので、つい要らぬ一言を漏らしてしまった。

「良いのか、それで。お前だって、好きなんだろう?」

「好きよ」沙織は云った。

 あまりにも素直で正直で氷河の方が面食らった。

「小父さん、あっ、そこのおイモ頂戴。後、餅巾着とロールキャベツ。卵もね」

「良いのか、なのに俺たちがそーゆーことになっても」

「えっ、ずーずーしい。本気で紫龍をモノに出来ると思っていたの?

こりゃあ、びっくりだわ」

「誰かが紫龍と対になってもいいのかと聞いているんだ」

氷河にしては慎重に言葉を選んだ。

一度、聞いてみたかったことではあるし、こんなチャンス滅多になかった。

「その、フリーのうちなら、お前にだってチャンスが有るんじゃないのか?

倍率は高そうだがな」
「そりゃあ、ないわよ。世界の果てで二人きりになってもね」

沙織はからからと笑った。

「だって、紫龍が大事なのは女神さまでだもの。城戸沙織じゃなくてね」

「────そんなことは無いぞ」

 その答えにしばし、間が空いてしまったのは考えた末というより、

単に教えてやるのがもったいなかったからだ。

氷河ですらそうであるように、城戸邸に在住している人間達には、

もう女神とか聖闘士とかという立場を越えてしまった何かがあった。

それはふらふら病が治らない一輝を初め、兄だけを見てきた瞬や

ちゃっかり末っ子ポジションを手に入れた星矢も同じ気持ちだろう。

だが、幼い時から一人で生きてきた紫龍はその想いを

旨く伝える術を知らないで居る。

肩を借りようとする人間に肩は貸せても、遠くから自分を見ている人間に

触れようとするのは、不慣れなのだ。

だから、型どおりにしか彼女に接しられないで居る。

彼女が自分たちと違う柔らかい肉体を持っているということも、

原因の一つだろう。

そのことは紫龍に恋している氷河だからこそ判ることだった。

ただ女神という存在を崇めているならば、氷河の胸はこんなに痛くはないだろう。

それは愛とか恋とかいうかけ離れてはいるが、

紫龍が沙織を慈しんでいることには間違いはなかった。

 しかし、彼女からの返事はなかった。

代わりにくうくうと安らかな寝息が聞こえる。

「いつも、こうなんですよ、お嬢ちゃん。店の主人が初めて口を開いた。

「よっぽど、疲れているんでしょうね」「そうだな」

 氷河はしばし一人で杯を煽った。

沙織は難なくこなしているが、まだ、

16才の少女であることに代わりはなかった。

そして、その肩にのし掛かるモノは、

ただ闘うモノの宿命よりも重すぎるのも事実である。

その見えざる敵に雄々しく立ち向かおうとする彼女だからこそ

氷河も又、紫龍が沙織に何かをすることを許しているのだった。

そうやって、思考を紫龍に戻した時だった。

 氷河と、想い人の声で名前を呼ばれると同時にぱんと叩かれた。

「妙齢の結婚前の女の子を前後不覚になるまで飲ますんじゃない。

───  沙織さん、沙織さん」

 当然のことながら、自分を起こすよりもずっと優しい声音だが、

沙織が起きる気配はない。あくまで爆睡をかっとんでいた。

 ふうと紫龍が溜息を付いた。自分に見せるモノと違い、

限りなく甘い微笑みを浮かべると、右手で彼女の足を抱きかかえ、

左手で背中を支えてやる。

沙織の白のドレスと相まって、俗に言うハネムーン抱きだ。

「大丈夫か?」「これ位はな。地球の重さだし」

「そうだな……」
 何となく構図は気にならないので、代わろうと思ったが止めた。

沙織の記憶には残らないが氷河なりの誕生プレゼントのつもりだった。

そして、ナイトよろしく立ち去ろうとした紫龍がこちらにぺこりと頭を下げた。

「いつもご迷惑ばかりかけて、すいません」

「いいってことよ」店のオヤジも慣れたモノだった。

「今度はお兄ちゃんも食べにおいで」

「はい」にこやかに微笑むと紫龍は氷河の方を向く。

「悪いな氷河、後は頼む」

「ああ」と、頷いてから思い出した。氷河は沙織と自宅のパーティに出ていた。

そのジャケットの中にはハンカチしか入っていなかったことを。



「起きましたか、沙織さん」

「あら、紫龍」と、ベットの上の自分を確認するよりも先に、

鋭い頭痛が沙織を襲った。

「又、やっちゃったみたいね。……えへへ、いつもごめんね」

「そう思うんだったら、お忍び控えて下さいね。探しに行く身にもなって下さい」

「あら、悪いと思っているからいつも同じ所で飲んでいるんじゃない。

ボディガード付けてさ」

「ご配慮まことに痛み入りますが……、自分の誕生パーティを抜け出すような

悪い子には、やっぱり上げるの止めましょうか?」

穏和な彼にしては珍しく強い口調であるが、

沙織は何のことを云われているか、皆目見当が付かなかった。

「何を?」

 それを伝えることに紫龍は一瞬、照れくささを感じたが、

本当に沙織は判ってないようだったので、きちんと言葉にすることにした。

お前はいつも言葉が足りないと、氷河に常々、云われていることであった。

「一応、お誕生日のプレゼントを用意してみたんですけど……」

「えっ、ウソ」

 よく見れば、枕元に小さなピンクの立方体の紙包みが置いてある。

沙織はとりあえず頬を抓ってみて、ユメかどうかを確認した。

「ねえ、本当に私の?」

「他にお誕生日の女の子なんて、居ないじゃないですか?」

「開けていい?」

 もちろん、イエスの返事を聞く前にがさがざと包みを解く、

沙織の手が急に止まった

「女の子のプレゼントって、どうしていいかよく判らなかったんで、

氷河の見ていたアニメを参考にしたんですけど……。可笑しいですか?」

 それは小さなテディベアのバッチだった。

焦げ茶色のクマが赤いリボンをしている。

 ぶるんぶるんと、沙織は首を振った。

「ううん、すっごく嬉しい。一生、大事にする」

 城戸のお爺さまが最初にくれたプレゼントがテディベアであった。

そして、彼は今も部屋のソファに寝そべっている沙織の一番古い友達だった。

そして、紫龍がその事実を知るはずもなかった。

「ありがとう、紫龍」「どうしたしまして」

 涙ぐむ沙織に気が付かない振りをしながら、紫龍は窓を開け放った。

「沙織さん、ご飯、食べられます?ホットケーキを作るんですけど」

「ありがとう、紫龍。着替えたら下に行くわ」

 そう云って極上の笑顔で紫龍を送った沙織はちらっと何かを思い出しかけた。

忘れては気の毒すぎる何かを……。しかし、それももう一度、聞こえてきた紫龍

の声に涅槃の彼方に飛び去ってしまう。

 そう、ただ忘れてしまったのだ。紫龍のことを判ったように語る男が、

いつもの男達と同じようにおでんの支払いの代わりに、

おじさんに皿洗いをしていることなんて、酔っぱらっていたのだから、

記憶が無くてもしょうのないことである……。

3度目の自分を呼ぶ声に答えて、沙織は漸く居間に向かう。

その胸には紫龍のプレゼントのテディベアが揺れていた


 






























































































































































































































































































































































おいおい











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