いつもならその薄く冷たい唇に近付いただけで閉じられる瞳が、今日は気が付かないかのように、顔を背けられた。

「どうした?」

 いぶかしげることもなく男は優しく尋ねた。拒絶しておきながら、泣きそうな顔をしているのは子供の方だったし、ソファの上で肩を抱き寄せられる位置に紫龍は居るのだ。
焦る必要もないし、このびっくり箱みたいな子供が何を云い出すかの方に興味があったが、流石の大人も飛び出して来た台詞には度肝を抜いた。

「シュラって、身体目当てなんですか?その、俺の」

 夜、というよりは大人の時間の始まりに相応しいとは思えない話題に思えたが、シュラは素早く最初の動揺から立ち直り、言葉遊びを始めた。全く、この子は飽きさせてくれない。

「身体、自信在るんだ?」
「えっ?」
「目当てにされるんだろ」
「そうゆうことを云いたいのではなく、、、」
「まあ、ちょっと肉はなさすぎだけどな。肌は綺麗だし、感度もいいぞ」
「ありがとうございます。―――では、なくて〜」
「誰に云われた?」
「えっ?」
「お前が考えたコトじゃないだろ」

 だったら、とっくに疑問に行き当たらなければおかしい。案の定、紫龍は困った顔でイイワケを始めた。

「……いえ、云われたっていうか、その、瞬と話していたら、思い当たることがあって、、」
「例えば?」

 紫龍は一瞬、云い淀んだが、覚悟を決めたようだった。

「だって、逢うと必ず、しますから、、、その、、、」
「Sex?」

 未だに慣れない単語に頬を染める子供を抱き上げると、男は紫龍を自分の膝の上に乗せた。

「じゃあ、どんなことをすればいいんだ?」
「どんなって?」
「好きなことを云ってご覧。Sexでも、それ以外でも。何でも叶えて遣るよ。赤い帽子を被ったじじいよりもな。欲しいものでも、行きたい所でも、何でもお前にくれて遣る」
「……何でもですか?」

 シュラの大きな手が髪を撫でてくれる。自分を覗き込む黒い瞳は何時もと同じように優しいのに、紫龍は横を向いた。

「離して、、、下さい」
「―――はい」

 シュラは公約通りに自分の膝の上で遊ばせていた子供をソファの隣りに座らせた。
ふう、紫龍がため息をこぼすのが判った。

「それで?」
「えっ?」
「他はないのか?」
「あっ、いえ、特には」
「ないんだ」

 改めて、断定される。まるで自分がちっぽけで、つまらない人間だと、云われているようで、胸が張り裂けそうになった。

「……すいません」
「どうして?」
「だって……」
「謝るコトじゃないだろ。―――何か、呑むか?温かいの」

 紫龍は慌てて立ち上がろうとした。

「煎れてきます」
「インスタントだけど、いいか?」
「あっ、はい、―――すいません」

 シュラはもう、何も云わなかった。ただ、笑って台所に消えた。
8分経って、ソレこそ何もすることがなかったから、耳障りな音を出す柱時計をずっと見つめていたから、正確だ、漸く男は戻ってきた。白いマグカップにはカフェオレが、青にはコーヒーが入っていた。 ブラックがいいのか、ミルクは一滴なのか、砂糖の有無も何も聞かれないで、紫龍には白いマグが手渡される。いつもならすんなり受け取れるそれが、今日は癪に障った。

「―――どうして、こっちなんですか?」
「じゃあ、これと取り替えるか?」
「ああ、いいえ、―――ありがとうございます」

 反抗してみた所で、結局は同じ結果だ。項垂れてしまうと、シュラはぽんぽんと頭を撫でてくれた。その仕草をされる度に紫龍は自分がどんどん小さくなっていく気がした。砂糖みたいに溶けていく感じだ。

「―――飲まないのか?」
「少し熱そうですから……」
「ふうふうして、やろうか?」
「いえ、もう大丈夫です」

 慌てて、少しだけ口を付けようとする前に、そのままマグカップを取られ、サイドテーブルに置かれた。

「すいません」
「お前、ソレばかりだな、今日は」

と、云ったシュラが自由になった手を取り上げて、両の手に挟み込んだ。自分より一回り大きな掌が、二つになって、紫龍の手をサンドイッチにする。それから、一本、一本、包んでみたり、離してみたりを繰り返す。手持ちぶたさのようだった。その手が不意にシュラの唇に含まれた。びくっと体は震えたが、紫龍は離すことが出来なかった。シュラの手は温かかった。その手がかつて自分を切り刻んだなんて、信じられないほどに。

「―――シュ、ら」不意に瞳に涙が滲み始めた。
「どうしたんだ、紫龍?」
「いえ、何でもないんです」

 嘘だった。いや、自分でも、どうしていいか判らないし、気持ちを上手に言葉に出来ないのだから、本当なのかもしれない。シュラはぐっと紫龍を抱き寄せると、しばらく、その涙を舌先で拭っていたが、

「……もう、気は済んだか?」と、云った。
「えっ?」
「して欲しいこと、もう無いんだろ」
「そうですけど……?あっ、」

 紫龍のズボンは降ろされ、先刻のように、―――違うのはシュラのそそり起つモノが見え、その上に半ば無理矢理に座らせられたことであった。

「や、シュラっ」
「何?ちゃんと濡らして欲しかったか?」
「な、んで」

 逃げようとしても、シュラの手は腰にしっかりと回されているし、下肢は楔で繋がれている。

「どうせ、することないんだろ」
「そんなこと、無い」
「例えば?」
「あの、食じ、、とか、後、おしゃべりとか、、」
「しゃべっているだろ、今」
「そうゆうんじゃなくて、、、もっと、」
「もっと、―――速くして欲しいのか?」
「ちが、シュラ、、だって、、、」
「だって、何だ?」

 身体が痺れていくように、脳も痺れていく。なのに、下肢の一点だけはあらゆる感触をすっ飛ばして、シュラだけを感じている。まともに何か、考えられる状況ではない。
なのに、紫龍は呟く。

「だって、『好き』って、」

「えっ?」
「きいたこと、ないから、、、その、アナタから」

 顔が火照るのが判った。それはあながち、未だに紫龍に浸食続けている下半身のせいだけではなかった。

「何を?」
「だから、、、、スキ」

 だが、男の答えは紫龍の良きにしろ、悪きにしろ予想されたものとまるで違った。

「やっとだな」
「・・・何?」
「俺も、ないってこと」

 唇が瞬間、塞がれる。その微妙な動きも紫龍にため息を漏らさせる。又、息が弾み出す。男は紫龍に囁いた。

「俺も聞いたこと無いよ、お前から、『スキ』って。お前の方が身体目当てなんじゃないのか?」
「そんなこと、、ない」
「じゃあ、云ってご覧。好きって」
「………………すき」

最初は小さな声だった。

「すきです、シュラ、、しゅらあ」

 だが、一度、放たれてしまった感情を紫龍はどうしても、止めるコトが出来なかった。
認めたくないからではない。ただ、思い当たらなかったのだ。

「好き」という言葉に。

 それは普段、何気なく仲間に対して口にしている「スキ」とは違っていた。
ずしりと重く紫龍にのし掛かり、胸を締め付けた。
なのに、どうしてだろう、その重しが心地よかった。大雨のダムみたいに堤防を越えて、溢れ出してしまった。エマージンシーコールを出しても、もう遅いのだ。だって、紫龍は知ってしまったのだから。自分もそんな相手に出逢えるということを。

「すき、、、好き、シュラぁ」

 繰り返す度にシュラは突き上げてくれた。ご褒美のように。その度に涙が零れ、全身が締まる。

「そう、イイコだ、紫龍」
「シュラ、、、だからっ」

 アナタは、問いかける間もなかった。シュラの大きな高ぶりを受け、背中が大きくのぞけった。男しか依るすべもない所で、紫龍はシュラの上に崩れ落ちた。



 自身を抜いても、紫龍は目が覚める気配は無かった。男は意識の無くなった白い身体をベットに横たえて、毛布を掛けて遣る。その寝顔は決して安らかとは言い難い。まだ、残る涙の跡をシュラは辿り、額に張り付いた前髪を払ってやる。

――――――本当に身体だけが目当てだったら、こんな面倒な段取りを踏まずに済むのだが。

もちろん、今はまだ、そのことを紫龍に教えるつもりはない。もっともっと男のことで体も心も一杯にすればいいのだ。それでなくても、余計なモノがこの小さな頭にも身体にも詰まっている。それが全て払拭されるまで、シュラの教育は続いていく。その為の次の手段を考えるのは、とりあえず明日にして、シュラは額に静かな口付けをした。



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