雪が降りしきるある夜のこと。就寝までの長い時間、暖かい暖炉が燃える部屋で、
本を読んだり、音楽を聴いたり、時にカミュの話に耳を傾けたりするのは常のことだ
ったので、それ自体はさして珍しいことではなかった。

が、窓辺でその雪を見るとはなしに眺めていた俺を振り向かせた、
カミュの一言は充分に驚かせるものだった。

「死を覚悟した笑顔というのはいちぱん綺麗な表情なんだよ」
 そう云ったカミュのそれこそ儚げな笑顔の方がよっぽど綺麗だと思った。
「哀しいことに本当に命をきらめかせることが出来るのは命の果てを知った人間な
んだ」

「それってバカみたいですね」
 たぶん、本当の意味を何も知らなかったのだと思う。ちゃんと聖闘士になれば
母親に会えると本気で信じていた。幼い日。
俺のその生意気な言い方に、師はそれでも笑って答えてくれた。

「ああ、そうだね」
 彼の人は微笑んだ。シベリアの粉雪が舞い散る中、溶けるように。
「本当に人は愚かだね」


………予感があったのかもしれない。

自分の命が、目の前の少年のものになるという予感。
母の死はあったが、それがまだ命というものをについて考えられなかった頃。

小さかった俺にこの小難しい話は、今にして思えぱそうも考えられるが、
それは済んでしまった繰り言でしかない。
そして、今では雪が降ると思い出される寝物語りになっていった。

遠い日の思い出。それが、今頃こんな風に思い出されるのは………紫龍。

戦いはもう終わっていた。命が脅かされる心配はなにもない。
俺達は平和な普通の生活を満喫していた。
だけど、紫龍を見るたび何かヘンな気持ちだった。

忘れていた想い出がリアルに甦ってくる、そんな感じだった。
切ないゆえに、妙に哀しく、哀しいゆえに居心地が悪かった。
だから、私用で五老峰に行くと出掛けた時は正直ほっとしながら、奴を見送った。

“早く帰ってこいよ”そんな言葉を飲込みながら。
もっともその間、居間にぽっかり、事実上の穴が空いてたが、
俺はすることがあったので気にはしなかった。

庭に蔓延る、コスモス、石榴、小菊、咲き忘れのハイビスカス、紫が美しい桔梗
の花、山茶花の木、名も知らぬ花、EtcEtc。ちょっとした菜園。

それらが無秩序に混沌と、それでいて不思議な調和を見ゼながら、
庭を形作っていた。春夏秋冬、季節にあわせて思い思い、
色とりどりに花を咲かせる、紫龍の場所。

別に頼まれたわけではないが、暇だっただけである。
そうやって、太陽とともに健全な生活をしていると、あっという間に日が過ぎた。

「ありがとう」それが久しぶりに会った紫龍の言葉だと気づくまで、
随分と時間がかかった。

「ありがとう」面とむかって礼を言われても、何を意味するか判らなかった。
「えっ?」
「俺のいない間、庭の面倒を見ててくれてたろ」

「ああ、そうだったな」他にすることが思い当らなかっただけである。
「水をやって、草をとっただけだ。他に何もしていない」
 味もそっけない云い方であったが紫龍の微笑みは変わらなかった。

「でも、ちゃんと面倒みててくれたって、樹が云ってるぞ。ありがとうって」
 その台詞に俺の眼が見開いた。前から人間離れした奴だとは思っていたが、
まさか植物と会話を交わせるとは………。

俺の沈黙を察した紫龍が困ったように俺を見つめた。
「冗談なんだけど……」
「えっ」紫龍の罰悪そうな表情が、妙に恥ずかしい。

「いや、でもね………」樹々が子守歌をささやくように。
「でも、本当に聞こえたらそう云ってると思うから、………ありがとう」
何気ない一言だったが、次の瞬間、俺は顔が真っ赤になるのを感じた。
そんな俺におかまいなしに紫龍は言葉を続ける。

「春になって、縞麗な花が咲いたらお前に見せるね。いちぱん美しい綺麗な花」
「………………そりゃ、多分お前だ」
「?何か云ったか?」

「いや」聞こえなくて良かったと思う。
「そう、」振り向いた紫龍の笑顔が眩しすぎるから、俺は何も言えなくなる。
いや、むしろ眩しいというより、何か光に透けているような気がした。

「あれ?」俺はまじまじと紫龍の顔を見た。
「お前、顔がヘンじゃないか?」
 何かほっぺが腫れているような気がしたのだが、
今のは完全に云い方がまずかった。気まずい雰囲気が俺達を襲った。

「いや、その、あのな………。顔が悪いとかじゃなくて、俺はどっちかというと
お前の顔好きだ」全然フオローになってない。

慌てふためる俺を尻目に、紫龍はにこやかに云った。
「よく判ったな」
「だから、俺が云いたいのはそーゆー事じゃなくて………」

「女の子に殴られてきたから。ほっぺ」
「えっ?」
「全身全霊で、叩かれてしまったからな、痛かった」

普段と変わりない、まるで夕飯のメニューを言うような感じだったので俺は次の
瞬間、何を云ったらいいか又、考えてしまった。
いつものように。紫龍が優しく微笑むと俺は大低、何も云えなくなる。

なぜだか知っている。それが、あまりにも死んでいった誰かを思い起させるから。
同じ戦場をくぐり抜けたと思えないほど、紫龍は“命"を知っていた。



 海に行きたいと言ったのは紫龍であった。
それはラジオかなんかがシーズンオフとなった閑散とした海岸の、
空の青さと海の碧さの話を聞いた紫龍が、

「あっ、いいな」
 ポロリと口からでた、本人とて叶うとは思ってなかった、一言だった。
ただ、聞いてしまったのが、お嬢だっただけの話である。お嬢は云った。

「あたしね、紫龍には本当に幸せになって欲しいの」
大抵のお嬢さんの我儘には動じない紫龍が目を丸くした。
「なんですか、それは?」

「言葉どうりの意味よ」
「………」
「どうしたんですか、沙織さん。熱でもあるんですか?」

瞬のフォローもこの暴虐無人には通じなかい。
「あらやだ、瞬は紫龍に幸せになって欲しくないの?」
「いえ、そう言うんじゃないんですけど………」

実際、彼とてどう云ったらいいのかよく判ってないのだ。
「だって、いきなりじゃありません。脈絡ってものがありませんよ」
「そう?」

 会話の存続を許さない少女の云い分に瞬の不審な視線が向けられる。
「沙織さん、浮かれていません?」
「うん」随分と見忘れていたふつーの女の子の、可愛い笑顔であった。

「だって、紫龍が“お願い"を云ってくれたんだもの」
「……………」 
 その場にいた人間全ての疑惑と困惑の視線を浴びながら、
お嬢は嬉々として語りだした。

「紫龍はね、今、幸せって聞いたら、天使顔負けの、
見ているこっちまで溶かしてしまいそうな笑顔で、はいって答えると思うの。
そういう人をもっともっと幸せにするのって、すごく難儀よね。

でも、その人がそっとお星さまにお願いをしたことが、あっという間に実現する。
欲しい欲しいと思っていた新しいディオールのドレスが目覚めると枕元にある。
これって、幸せでしょう」

 ドレスかはともかく、云いたいことは判る。
「もちろん、みんなにも当然幸せになって欲しいわ。
今までの分とり返すくらいにね。でも、貴方たちってっ自力で頑張って

幸せになれそうじゃない。だけど、紫龍って、他の人が気をつけてあげないと、
折角やってきた幸せ逃しちゃう所あるから。不幸を呼んでるっていうか、
そのつもりはないんでしょうけど。呼び寄せているっていうか………」

 云いたいことを云ってしまうと、沙織さん、ほんの少し真面目な顔をして
紫龍を見た。
「本当にね、思うのよ。あなたの小さな笑顔を守れないで、
なんのための女神かって」
 
  沙織さんは云った。心をこめて云った。
「だから、紫龍には満ち足りて穏やかでやさしい幸せでいてほしいの」
 にっこり。女神さまスマイル。それで全てのかたがついた。

紫龍に彼女の笑顔が崩せるわけがない。相変わらずすごい屁理屈だったが、
この時ぱかりはなぜか妙に納得し、嬉しかった。が、それ以上に彼女は実に
楽しそうに鼻歌なんぞを歌いながら、トランクに今年着れなかった3着目の
新しい水着をつめこんでいた。そういう女である。

ま、とにかく、俺たちは海へ向かって車を走らせた。


 3日だけの許された休日であった。


秋の海だったのでもう泳げなかった。こんな寒さへっちゃらいと、
飛び込んだバカがいたが、クラゲに刺されただけであった。
誰よりも声をたてて笑った少女に、水が引っ掛けられた。

しっかり水着を着込んでいた沙織はことなきをえたが、隣にいた瞬が巻き添え
食ってびしょ濡れになった。彼のシャツは今日おろしたてである。

やけになったか、そのまま海につっこんでいった。俺たちはよく笑った。
一輝が落し穴に落ちて、(作ったのはガキども三人だ)
買ってきたジュースをつぶしても、俺たちはけらけら笑った。

別荘番の小父さんが、たまにしかこないオーナーのために、
とっておきを奮発してくた。白いごはんと豆腐の昧噌汁と刺身とシンプルだが、
味は良かった。俺たちは腹一杯に飯を食った。

その後、誰かがもってきたゲームをして遊んだ。きっと、窓に映った影絵は
幸せな家族を映しだしているのだと思う。こういうのは本当は幸せとは云わな
いのかもしれない。

絵に描いたような団簗である。こういうのを幸せと感じることなく、過ごせるのが、
本当は幸せなのかもしれない。だけど、俺たちは幸福だった。紫龍が笑っていた。
団簗の円から中心にいなかったが、時折ふりかえると紫龍の笑顔があった。

そっと見守っていた。
泣きたいくらい幸福ってこういう事じゃないかしら。お嬢が云った。真実だった。
そんなこんなで俺達は楽しいことだけが詰め込まれている時間を過ごした。

「いつまでも終わんなきゃいいいね」と、瞬が云った。
「そうだね」誰もが頷いたが、俺は知っていた。
辛かった戦いが夢のように彼方に消えたように、
何でも最後があるということ。だから、俺達は生きてられるということ。


最後の夜。
俺達は浜辺で打ち上げ花火をした。赤や青や緑など色とりどりの残像を残して、
俺達の“祭り"は終わった。本当に緒麗な花火だった。

 体は十分疲れているのだが、精神の方がついて行かなかった。
ふと窓を見ると月が大きく冴え冴えと、淡い黄色い光を放っている。
眠るのがもったいない夜だ。

考えるより早く俺は砂浜に出ていた。ざらざらした部分が、
妙に素足に気持良かった。月の中の砂漠。吸血鬼じゃないけど、
月の光が気持ちいい。いや、夜が気持ち良かった。

そんな時だった。彼を見つけたのは。初め、声をかけるのがためらわれる程、
彼に夜の海が似合っていた。いや、同化しいた。
膝を抱えて海を見ているようだった。吹く

風が闇の中でさらさらと音をたてる。緑色の長い髪。
その髪を擾っていく風を気にも止めない。俺にも気付かない。
ただ、海だけを見続けている。何となく腹が立った。奴の隣にどしんと座る。

「どうしたんだ、こんな所で?」

 一瞬、心底驚ろいた顔も、すぐにいつもの笑顔になる。ズボンを膝までめくり
上げて素足を海水に浸す紫龍は、まるで人魚姫のように見えた。
まだ、声を失わない人魚姫の美声が俺の耳を捉える。

「海の音がざわめいて眠れなくて………、お前は?」

そう言って真っ青な大きな月の中、子供のように微笑む様は、全然、
紫龍ににつかわしくない気もしたし、又、この上もなく紫龍らしいような気がした。
だから俺は云った。

「俺はお前に会いにきた」

 嘘ではなかった。幾分、偶然が含まれていることは認めるが。
だが、俺の決意をこめた告白も紫龍に、
「ここにいたのが俺だったから?」で、あっさり片付けられてしまった。

「可愛い女の子でなくて悪かったな、氷河」
「………、毎晩こうして海を見ているのか?」
返ってきた答えは、完全な独り言だった。

「海はいいよ。ちゃんと見るのは初めてだけど。思っていた通りだ。
初めてなのにちゃんと懐かしい。………変わらないんだろうな。
永遠に人々を優しく包んでいくんだろうな。例え、何が起ころうとも、
誰が傷つこうと。ずっと変わらないんだろうな、海は」

「………それって五老峰から手形付けて帰ってきたのと関係があるのか」
紫龍がちょっと驚いた顔をした。
「何に?」

「いや、ほじくりかえさせられるとは思わなかったから」
「あのなあ」俺はそんなに淡白に見えるのだろうか?
「それで?」

 紫龍は何も答えなかった。海を見ていただけであった。何も言わない。海を見て
何も言わない。波の音が耳にうるさかった。
「………どうして、殴られたりしたんだ」

「えっ」
「いや、あの子が平手うちっていうのはよほどのことじゃないかと思って」
別に関係があることではない。ただ、聞いてみたかっただけである。
答えてくれないと思ったが、紫龍はあっさり口を開いた。

「山を降りてくれっていったんだ。もう、会いたくないからって」
 流石に驚いた。
「だって、大事な人だったんだろう」

「うん」にこにこと紫龍は答えた。大好きなものを自慢するみたいな小さな子供
みたいな笑顔で。だから、聞かずにはおれなかった。
「なぜ?」

「嫌われて、憎まれたほうがいいような気がして。彼女は」

 紫龍は俺を見ていなかった。真っすぐ、闇に溶けている海を見ていた。

「例えばあのままの状態で俺が死んだら彼女の性格からして山を降りれないない
だろう。もしかして、一生泣き暮らすかもしれない。それって、可哀相だろう。
だったら、嫌われたほうがいいなと思って……。あっ、違うな」

と、紫龍が笑った。見たことがない自嘲的な、それでいて透明な微笑みだった。
「一忘れてほしくなかっただけだ。単に」
「なんだそりゃ」

「ほら、良く言うじゃないか。憎しみのパワーの方が強いって。嫌われた方が後に
引くだろう。だから………」

 紫龍からそんな言葉が出るとは思わなかった。
が、俺が聞きたいのはその言葉の方ではない。
「いや、その忘れてほしくないってのは何だ?」また、だんまりである。

その間も波は絶え間なく、引いては寄せ、寄せては引いて、
俺達の足元を濡らしていった。そしていい加減、俺でも間がもたなくなった。
「ヘンだ。お前」

「そうか」そう間いかける無邪気な瞳が、くったくもなく笑っている。
いや、違う。
「お前、泣きそうな顔している」

「氷河………?」
「ずっと、お前のこと見ていたから、判る」
「えっ?」

「お前のこと愛しているから」
不意に紫龍の瞳から涙がこぼれた。俺は焦った。いささか唐突的な告白な
気がしなかったわけではない。だが、まさか泣くとは思わなかった。

「いや、違う……。そういうんじゃなくて………」
 そう言いながら、あふれる涙は止まらなかった。
止めたくて瞳に口付けを送った。冷たい涙が俺の唇を濡らしていく。

溢れる程、溢れる程。そうすると、もう歯止めが効かなかった。
俺は紫龍の唇に自分のそれを重ねていた。扇情的な淫らなキス。
次の瞬間には頬が叩かれていた。

「なっ」真っ赤になって怒っていた。
「何をするんだ」

「それは俺の台詞だ!!忘れてほしくないだって?今、お前ここでキスされて、
怒って、確かにここにいるじゃないか。思い出なんかにしなくたって、
確かにここにいるじゃないか。なのに何でそんな事言うんだ?」

 紫龍は答えない。うつむいた表情からは何も推し量れない。
それが却って不安だった。

「死ぬのが恐いのか。だったら今更だぞ。確かに戦いが終わったわけではない。
だが、少なくとも前よりは安定しているのは事実だ。
それをここまできて、なんで急に………」

「別に死ぬのは恐くない」
 恐いくらいにはっきり云った。紫龍は云った。
「だって、氷河。俺ね、本当はもう死んでるから………」

 寝耳に水だった。

――――――真っ暗だった。どこを向いても真っ暗っだった。
俺はもうすぐ死ぬんだと思った。だって、体中の力が抜けて何も出来ない。
体が、寒くて凍えそうで、横を見ると緒麗な女の人が立っていた。
黒いドレスを着た、大きな鎌を持った女の人。俺には誰だかすぐ判った。

「………俺、まだ死にたくない」
 絵本で見たことがある死神。俺を迎えにきた者。
「でもね、人間の命は一回きりだよ。
それが一番いいから、そう決まっているのさ」

「でも、死にたくない」
 俺は死神を見て云った。死神はちょっと困った表情をして、
それから、俺の顔をぐっと捉えた。

「綺麗な目だね。優しい、そして哀しみを上手に昇華させる、堕天使の瞳………。
そうね、お前なら、もう少し命をやってもいいけど……」
死神は大きなため息をつく。

「でも、死ぬ者はやっぱり死ぬ運命にあるんだよ。
それでもお前がここに残るためには、お姉さんと同じ側の人間に、
ならなくてはならない。人間の命じゃない、ただ生きるだけの永遠の命に。
それでも、人として生きるならば、それだけの代償を追わなけれぱならない。

それが真理ってやつさ。判るかい?私の云ってる事」
 本当は何も判らなかった。十にも満たない数しか生きてなく、永遠の長さも、
命の美しさも、俺は何にも知らなかった。
でも、その時は後悔なんて一生しないと思っていた。

「ねえ、本当は皆忘れているけど、生きることの方がつらいんだよ。
愛する人が愛するように愛してくれないし、大事な人がお前のせいで傷を負う。
望んだ願いは大抵なにも叶わない。

そして、運命の人には会えるより会えないほうが幸せというもの。
死ぬことより生きることの方が難しいんだよ。それでもいい?」
「だって、ここで死んでも同じだもの」

 誰もいない。何も変わらない。俺が死んでも、誰も泣かない………。
その人はにこやかに微笑むと俺に口付けを一つくれた。それから云った。
大きな黒いドレスに俺の体をすっぽり包みながら。

「冥界の生気を上げる。これで、もう少しここで生きられるわ。
だけどね、ぼうや。忘れちゃいけないよ」
女の声がだんだんと子守歌みたいに響いていった。

「お前の存在は他の人間と違うこと。それは、ただ生きるだけの命ということ。
忘れちゃいけない。お前はもう“人"ではない、
それを選んだのは誰でもないお前である事、そして………」

 静かに微笑んだ紫龍の微笑みが、いっもより遠くに感じられた。

「そして、俺がここにいる」紫龍の声が明るく響いていた。
「後悔しているわけじゃない。つらくなかったと云えば嘘になるが喜びもあった。
生きていて良かったと思った。まあ、幽霊みたいなものだけど。

それでも師に女神に友に兄弟に、そしてお前に会えた」
「そうだな」
俺のしごくあっさりした反応を紫龍はほんの少し不思議な顔をした。

「あんまり驚かないんだな」
 そりゃ、そうだ。
「な、お前、冥界の命をもらうと普段の生活になにか支障があるのか?」

「いや、とりあえずは………ないが」
「だったら、問題ないじゃないか」
「………そりゃ、そうなのだが、そういう問題なのか?」

 そういう間題なのである。
「お前が何であろうと関係ない。お前はお前だ。愛している、紫龍。
ずっとだ。永遠にだ。お前がずっと死なない存在だったら、
俺は永遠の命を手に入れる、それだけだ」
 
長い沈黙の後、紫龍はようやく口を開いた。
「氷河は覚えてる?」
「何だ?」
「さっきやった花火」

「なんだ、そりゃ?」
 クスリと紫龍が笑った。全てを悟った表情。
「結局、十年長生きしてもあんまり変わらなかったてことだ」

「何が?」
「………氷河は俺がいなくなったら、泣いてくれる?」
「忘れない」俺は云った。

「泣かないけど、忘れさせない」俺はありったけの力で紫龍を抱き締めた。
「ちょっと、何、氷河っっ。」引きつった紫龍の声が聞こえてきた。
「やだっ、止め………」

「本当に止めていいのか?」
「………」
「忘れさせるもんか」もう一度そう曝くと、腕の中の龍が大人しくなった。

「もう、大丈夫だよ」震える体を抱き締めて。
「大丈夫、俺はお前を忘れない。絶対に忘れない。お前も俺を忘れない」
「忘れない?………本当に忘れない?」

その真剣な瞳に頷いた。そっと紫龍が瞳を閉じた。全てを受け入れるように。
俺たちは自然に唇を重ねあわせた。
吸い付くようにそれが深くなっていく。

俺は静かに紫龍を砂の中に横たえた。長い髪が迷宮のように、
砂のなかに埋もれてく。もう一度キスして、はだかれた胸にそっとをそえた。
月の光に肌が白く見えた。まるで雪原のよう。

その白、全てに口付けを施していく。体を汚すのではない。
浸していくだけ。紅い突起を舌で丹念に舐めあげると、
呼気がさらに荒くなった。のぞけった喉から漏れる怪しい音色。

乾いた砂を握り締めていた手が、耐えられなくなったのか、
俺の体に絡み付いてきた。その細い二本の腕だけが、
俺の存在を繋ぎ止める唯一のように。俺の指が、舌が、

紫龍を捉えるたびに切げな悲鳴が発せられる。
抱きとめる腕の力がさらに強くなる。どんなささやかな行為にも、
紫龍は五感全てを使って応えてくる。

それは愛撫というより、確かめるという行為に似ていた。
そこに、互いが存在するというのを深く知っていく行為………。

「いいか?」潤んだ瞳に問いかけた。きつく閉じた瞳に、
唇を置いてから、俺は紫龍を抱きとめた。
「痛かったら、声を出していいぞ」

「いい」荒い息をはずませながら紫龍は云った。
「全部、俺の中で氷河を感じていたいから」
「ばか」

 俺は奴の体を起こすと、挿入を開始した。全てが愛しい。
お前の声、黒いしなやかな長い髪、俺を映した深い瞳、
苦痛に歪む儚い表情、柔らかい唇、お前の温もり………。

覚えている、覚えてる、覚えてる………。

「愛している」と、曝きながら俺は紫龍を貫いていった。
永遠を刻んでいくために……。一つになる瞬間。二人で見た星の瞬き。
星のように長くは生れないが、今だけは永遠。永遠だった。



考えてみれば、俺達は誰も紫龍の本当の願いを聞いた事がないような気がする。
俺があの時、聞いた言葉が全ての真実だったのかそれも判らない。
だが、あの瞬間、俺達は確かに至上の恋人たちだった。

それだけが確かだった。不思議と感謝はしている。
もしかしたら、運命って奴に。願いを叶えることなく、命を亡くしてしまう人間も、
願い叶わず永遠に生きる人間もいるのだ。

少なくとも、俺はちゃんとあいつに会えた。会えなかったよりも、出会えて、
別れたほうが数倍いいに決まっている。だが、それは俺の場合だ。
あいつはどうだったんだろうか。堕天使。ルシファー。俺の女神。

永遠の後、一瞬で消え去った、俺の紫龍。
人の生を全うしたため………。

人の命が何かを大事なものを見付ける力だとしたら、
あいつは本当は幸せだったのだろうか?紫龍。
本当は、何を望んでいたのか?俺はやっぱり何も知らなかったんだな。

秋の海に雪が降っていた。
涙よりも哀しくて、冷たい雪が降っていた。


                                               



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