波の音さえも消えてしまそうな、静かな夜であった。耳を凝らして聞こえるのは、多分、亡霊の泣き声だけであろう。最もシュラはそんなものに惑わされるつもりはない。ただ、煽ったグラスの分だけ頭がはっきりしてくるのは事実であった。今日の静けさは、静穏な優しさではない。体を侵食しはじめた退屈が、うずいてうずいて仕方がないのだ。しかし、シュラはこのうずきを止める方法を知らない。もう一杯、今度は先程より少し濃い液体を流し込む。こんな夜は普段は二杯ですむバーボンと、一錠の睡眠薬では体が治まりそうにもなかった。いや、煽れば煽るほどはっきりしてくる。夜に相応しく。闇が聞こえる。かといって、仲間を呼んでどんちゃん騒ぎをする気にもなれず、馴染みの女のところに行くのもかったるい───── そんな夜の事であった。

「貴方の時間を一時間だけ、俺に下さい」

控えめな────小さすぎて風の幻かと思うような、ノックの音。だが、シュラはこの宮をノックする人間の正体など知らない。デスマスクやアフロなら勝手に入ってくるだろうし、教皇の使いならもっと別な意味でとびこんで来るだろう。始めは無視していたシュラであったが、時間も時間であり、しかも一向になり止む様子もない。聖域に宗教の勧誘も、ゴム紐の押し売りも来るはずがなかった。いぶかしげながらも、シュラは扉を開けてみる。現われたのは黒い長い髪をゆったりたらし、はっきりと大きな瞳。鼻筋は一つ、まっすぐにひかれ、口元は涼しく、柔らかく微笑んでいた。華やかさにはかけるが、傷ついている体に優しく染みいる、笑顔。純粋な夜の闇の中で、闇に同調しながら、しかし、静かな聖なる輝きを忘れていない。一言で表すならば美人であった。
シュラは女神の聖闘士である。しかも、現在は非常事態─────女神の名を語る少女と、それに同意する青銅のガキどもが謀反を企み、聖域にバトルを仕掛けたのだ。無謀というか正気の沙汰とは思えないが、うわさによれば、五老の老師やジャミールのムウ。それにサジタリウスの聖衣も向こう側についているらしい。負けることは許されない、否、もちろんありえないことである。が、油断は出来ないという教皇の判断のもと、全てのゴールド聖闘士は聖域に介されたというわけであった。も、集められたからといってすぐにどーにか、こーにかなるというのではなく、早い話、シュラは暇を激しく持て余していた。退屈を巣くわせる体躯のいい男と、夜の匂いがする、そしてシュラの時間を求める美人。と、なるとすることは一つしか考えられない。

「あっ」

零れる声を呑み込ませて、シュラは美人を壁に押しつけ唇を押し当てる。
「あの…」唇が離れた瞬間、物問うげな美人の顎をシュラは軽くもちあげる。
「キスの時は目を閉じるもんだよ」
「えっ?」
「────目をつぶって」
 どうやら、その美人は素直な性格のようだった。ほぼ反射的に閉じた目蓋、二つにキスをしてから、唇をむさぼりにかかる。甘くて柔らかい唇。そこに舌を深くいれこんでいく。一瞬、身動いだ体をシュラがしっかりと押さえこんでやる。
「……一時間なんて言わずに、二時間でも三時間でも、なんなら一晩中でもかまわないけど」
「あの、いえ、そういう意味ではなくて、……あっ」
 先程から腰の下辺りを徘徊していたシュラの手のうちの一つが、双丘の割れ目に埋没される。体がびくんと震える。涙が一滴零れた。
「ちょっと、痛いかもしれないけど我慢しろよな」
何せ時間がなかった。
「えっ?」返事の代わりに、シュラに引っ繰り返された。免疫があまりないのだろうか。力が抜け切った体は簡単にシュラの言いなりになる。月明かりの中、二つの影が妖しく揺らぐ。二本目の指が体の中で蠢く。穴は思っていたよりも小さくてきつかった。シュラはことさらゆっくり、丁寧に自分を追し込んでいく。
 口元から擦れた悲鳴が上がり、赤い体液が流れ出ていった。



 ぺたんと、大理石もたれかかって、息を整えている相手の髪を優しく鋤きながら、シュラは囁く。
「一時間たったけど、どうする?」
「えっ?」
 シュラの指の動きに邪魔されて、思考がうまく働かない。
「かっきり一時間ってそういう理由じゃないの?」
「…」
荒れた息のまま美人はシュラを見る。何かとんでもない勘違いがあるような気がした。
「いくら?」ため息をつこうと思ったが、未だ納まらぬ心臓に邪魔されて、それすらもままならない。それでも必死に言葉を綴る。
「────あっ、いえ、ですから、そういうんじゃないんです。…あっ」と、突如。体の中に巣くっている快楽に襲われる。
「……だから、貴方の時間が、少し…ほしいんです」
「さっきやったじゃない」
「ですから、そういうの、ではなくて……」真っ赤になって叫ぶ姿が可愛いく思えて、つい言葉を奪ってしまう。
「……話がっ」
 又、言葉を奪う。
「あっ……。あんっ」
 耳たぶを軽くかじりながら、シュラは答えを求める。
「で、話しって?」
「んくっ」
 おまけにシュラの手は先程から、ゆっくりと体を撫で回している。
「……話があるんじゃないのか?」
「……、あっ」
 放出の余波を肩で表しながら、潤んだ瞳でうらめしげにシュラを見る。
「まっ、ここじゃなんだから……」と、シュラはもう一度、美人を見る。荒い息を洩らしていても、髪が少し崩れていようと、美人は美人だった。
「歩けるか?」
「歩けます」返ってきた来た言葉に満足しながら、シュラはその体を抱き上げる。顔が朱色に染まった。
「それ位元気があれば、まあ、大丈夫だろう」
 ばたばたと暴れるそれに口付けをしながら、ベットの上に押し倒す。黒い長い髪が白い光ので、綺麗に銀反射する。
「────で、話しって?」
「あの…」
間近でシュラの切れ長の瞳を見ながら、実は背中が痛くなくなった以外に状況は何ら変わりない事に気付く。それでもこれは不本意な状態なので、最善の努力はする。シュラの唇がそっと美人のそこに降り、更に下に下っていこうとする。それを両の手でブロックしながら、必死に言葉を綴る。
「……一時間ほしいというより、少しの間、何もしないで、……ただ此処にいてほしいんです」
「何も?」ぴくりとシュラが尋ね返す。
「そいつは難しいな」
「なぜです?」
 その必死の形相に笑みが漏れた。
「お前がこんなに綺麗だからだよ……」
 唇が深く触れ合っていく。
「や……だ」唇を朱色に染めながら、拒絶の言葉が漏れた。シュラは意地悪く唇の端を少しあげた。
「いいのか?」
 一つ一つチャイナのボタンを取って、顕になった素肌の、ぴんと張り立った赤い突起を舌に含みながら尋ねる。
「なあ。本当に止めていいのか?ん?」
「……あんっ」
漏れる吐息は快楽のもの以外、何物でもないのに唇を噛む。
 その唇を早く楽にするためには、まだまだ肌の温もりが足りないと、シュラは思う。
「大丈夫だよ、」下肢が砕ける甘美な誘惑。
「今度は優しくしてやるから」
 瞬間、絶望なのだろうか。凍りついた表情を温めるように、軽く暖かい接吻を施す。体はあくまで抵抗しない。シュラのなすがままに。ゆるゆると力が抜けていった。肌理の細かい綺麗な肌であった。何よりも温もりを求めている肌であった。シュラは舌と指と唇を使って、体の全てを支配していく。観賞する。隈無く支配の印を押していく。その丁寧な愛撫に涙が出そうになった。
「……、シュ、シュラ」甘い声で名前を呼ばれた。
「はいはい」と、返事をしてついでに、噛み切るような接吻をしてやる。
「んっ」
 吐息が胸に痛い。緊張でつっぱっている足を広げて、そこを露にする。
「……ちょ、やだ。やめっ」
 けれどもそれは、意味を為さない言葉の羅列。中心の近くを責め立てていたシュラの頭が大きく沈んだ。突如、自身を吸われ、あんっと、息を飲む音が大きくした。顔を上げればシュラという人間に酔っている獣が一ついるに違いなかった。大きく息を弾ませて、哀しい潤んだ目をした生きもの。シュラは腰を浮かせると、先程の穴の中に二本の指を差し込む。びくっと大きく体が震える。
「あっ」と、体が大きくのぞけった。
「うっ、うんんっ」押さえても、押さえても声が漏れる。
「もう、やめっ…。んっ」
 不意に、口の中が苦みで広がった。したたる膵液を拭おうともせず、シュラは次の行為に移る。一瞬、離れた温もりに、怯えた表情をする。その表情がシュラをますます畜生にする。ひくひくと痙攣した体を引っ繰り返した。ふと、浮かび上がっていたのは東洋の神獣だった。白い肌が闇目のなか、そのくっきりとした彩りだけが、奇妙に鮮明だった。どこかで見たことがあると思った。けれども、記憶を活動させる前に、シュラはするべき事がある。横たわる被害者を、シュラのそれで思いのまま蹂躙する。

 時間は渡すことはできない。誰も、ただ共有するだけなのである。ようやく繋がったその瞬間の、それはまぎれもない歓喜の声は、甘く辺りに響き渡った。






 シュラが目覚めたのは電話のベルであった。始めは目覚ましい時計かと思ったのだ。だが、引き寄せたその小さな時計は、起床にはまだまだの時間を示しており、それにもう何年も目覚ましいらずの生活を送っている。それで、シュラはこの不快な大きな音が電話であると気付いたのである。それにしても、こんなにゆっくりと、夢も見ないで熟睡したのは久しぶりのような気がする。隣を見れば、黒髪はまだ気を失っているようであった。
 まあ、無理もないだろう。シュラにしたって、久しぶりに我を忘れてやるだけしたという感じなのである。相手の体に気遣っている余裕さえもなかった。その相手なのである。大したもんだと感心してしまった。そう言えば、まだ名前を聞いていないことを思い出した。サイドテーブルにあったグラスで喉を濡らし、それから思いついたように電話を取ろうとした。寝ていただろうと思っていた手が不意にそれを邪魔する。
「取らないで下さい。だって、約束したでしょう」
 それは真剣な目でシュラは一瞬、どうすることも出来なかった。電話が不意に止んだ。永遠の静寂が二人を包んだ。
「お前、誰だ?」シュラはそれだけを言った。月の孤独の薄い微笑み。幻のように儚い。
「シュラ、眠れないんですか?」
 シュラはその華奢な体を抱き寄せて答える。
「そうじゃないさ」なぜだか言葉が優しい。自分がしゃべってるのじゃないみたいに、夜の中に浸透していく。
「眠らないのさ」
 シュラの低いトーンが紫龍の中に切りこんでいく。殺してはいけない人の、断末魔を聞いたからじゃない。
 罰せられない罪を畏怖してるんじゃない。温もりを求めて彷徨っているんじゃない。
「夜がもったいないからな」

─────月がほら、あんなに白く全てを照らす。
悪も善も、お前も俺もあれの前では全てが等しく。
けどね、夜は誰の味方でもないの。心がざわざわと駆り立てる。
背徳と正義。昔犯した幾つかの業。
まっすぐと、そのざわざわを押し殺すのさ。
そうやって、月を浴びたものが、夜の王さま。
眠らないんじゃないの。宇宙の深淵を視る旅をしてるだけなのさ。


そうすれば、ほらなと、月の雫を纏う夜の妖精にそっと口付けをした。
「例えばお前に会うことが出来る」
 触れ合うだけの静かな、長い口付けのあと、妖精は厳かに口を開く。
「一緒に星になるくらいなら、こんな風に出会ったほうが、いいかなって思ったんですけど、間違ってたんですね」と、迷いのない澄んだ瞳だった。
「シュラ、ほら、電話がなってますよ」
「お前、なんて名前なんだ?」
 シュラは急に不安になる。返事は微笑みが一つだった。
「……はい。もしもし」
 恐る恐る電話を取ると、覚えのある声であった。
「何やってるんだ、お前はっ!!」
「あっ、ミロか……」
「ミロじゃない、ミロじゃ。お前、あのまま眠りこけるつもりだったんじゃないだろうな」ミロの恨みがましげな言葉に、徐々に頭がはっきりしてくる。
 聖域に造反した青銅聖闘士を向かい討つために、開かれた十二宮の闘い。今はその真っ最中であった。ただ、十二宮の闘いは文字どおりアリエスから順番にあるので、後の方にある魔羯宮は始めのうちはあまり忙しくなく、シュラはミロにモーニングコールを頼んで、一息ついていた所であった。
「で、今の所、様子はどうなんだ」
「ああ。四人全員、人馬宮をくぐり抜けて、そっちに向かっているぞ」
「前に聞いた人数から減ってないじゃないか」
 それは闘いを終えたばかりのミロに、避難めいて聞こえた。
「しょうがないじゃないかっ」好きでこうなったわけではない。
「あいつらって、地獄の天使に見守られてるみたいにヘンなんだから」
 お前もその辺は会ってみたら判るって。ミロの忠告をシュラは丁寧に受け取る。
「ああ、そうだ」
切り間際のシュラの声に慌ててミロが電話に寄る。
「何だ?」
「いや、何でもない……」
 それは聞いても仕方がない事であった。そして、ほんの数分後には全てが判ることであった。
「……気をつけろよ」
 そして、投げ出された運命に、ミロはその言葉しか思いつかない。
「ああ」それだけ云うと、シュラは電話を切った。
 口元から笑みがこぼれるのを押さえることが出来ない。
 そう言えば、まだ、名前を聞いてもいなかった。黒い長い髪に護られて、月の瞳の夜色の人。
 今度は一緒に永く短い夢をみようと思う。
「後悔するぞ小僧!!」


 それが全ての夢の始まり─────。




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