史城桜さんというお手伝いさんが、                                   城戸さんという両親を早くに亡くし、保険金と遺産と銀行の利子と                                    その他エトセトラで食い繋いでいる少年たちの                
                          家に来て早一年と数か月の日々が流れた。                 




 そのマンションのテラスに面した大きな窓ガラスにブルーインクで溶かした夜空と、

イルミネーションのような光の洪水が映っていた。幼い頃に過ごした土地では、

手を延ばせば簡単に星は手に入れられそうなのに、

ここではネオンの光でさえ遠い。

蛍の燈のように点在する家々の明かりは、一体どんな団欒があるのだろう。

その明かりを目指すように、喧騒を連れてオレンジの河と、

道沿いに本物の河がうねりを上げている。

夜の水は光も音も吸収して、まるで地獄に注ぐようである。

 それから、小さな女の子の姿が見えた。

天に浮かぶ淡い三日月のように。

 黒い水の流れのような上等な日本人形のような腰まで伸びた長い髪。

透き通った白地色の肌が、浮かび上がる。美少女。

 細い長い指で少女は窓ガラスに自分の輪郭を綴る。

すらりとした、それでいて高さを感じさせない背は、

歌劇団の王子さまのようで。

 かといって凛凛しいとかいうのではなく、

どちらかというと女性らしいまるみの在る印象である。

少し広い額を隠すように前髪。

その下の薄い眉毛。モデルのように長い睫。

佇むように存在する鼻。桜桃色した形の良い唇は、微笑うためにあり。

笑顔だけが似合う少女であった。

 それから、それらをしっかりと認識する強い光を持った、

漆黒の二つの瞳。感嘆のため息が零れ出た。

「……俺って、こんなに綺麗で可愛いくて、美人だったんですね」

「嘘つきだな、紫龍」と、盤の前で唸っていたシュラが、

突如として声を上げる。が、盤の上の青い星からは目を離さない。

「どうしてですか?シュラ」

ぷーと、膨れた顔は彼を大人びて、それから目上の人間には、

一応礼儀正しいと知っている人間には信じられない位に子供じみたものであった。

最もそんな表情は一緒に暮らし初めて四ヵ月のうちに、

すっかり見飽きてしまい、今更驚くに値するようなことではない。

いや、見飽きたというのも、不適当な表現である。

野性の獣を飼い慣らしたように、ようやく、自分の前では飾ることを止めてくれたのだから。

 ただ、ポーズだけでもそれを見せとかないと、付け上がるのだ。

今だって敬語は使っているが、先輩に対する敬意というより、

五老での訓練の賜に過ぎないのだから。

 極上の気紛なネコを相手にするには、これくらい強気でなくては徒にキズを増やすだけである。

「俺って、可愛くありません?」

「いや、そんなことは知っていたけどさ」

 カーテンごと抱き締めて、柔らかい耳の後を優しく攻めながら、シュラは続ける。

「お前だって、自分の顔なんて本当は見てなかっただろうが」

「……よく判りましたね」

「大体、お前この世界でどうして『史城桜』が綺麗で可愛くて美人だか判るか?」

「俺がそうだからじゃないんですか?」

「この世界、目に見えるものなんかあてになる理由ないだろうが。

お前が肌で感じているように……」

 その長い髪に指を這わせながら、シュラは囁く。

「お前の精神が綺麗で可愛くて美人だから、

鏡に見える『あの子』が綺麗なんだよ」

 首筋の唇が熱く疼く。

「俺たちの真実なんて所詮、フロッピーデスク、

しかも、2HDより許容量が少ない2DD一枚だけなんだぜ。

文字にすればたった約六万の文字の配列と羅列なんだ。

俺たちはそれを再構築しているだけだぜ。しかもそれすら、

人のなかに刻めると限った理由じゃない。

その時に人の目に映るものったら、言葉なんかじゃないからな。

誰も記憶なんてあやふやで、どこにあるんだか判らないくせに、

時折、胸を締め付けたりするものを、きちんと計れはしないんだらな」

「じゃあ、何が残るんですか?」

「懐いだけだよ、紫龍」

 と、黒い瞳が訴えかける。

「こうしていることが、時が過ぎてみんな灰になっちまっても、懐いは残るのさ」

「……」

「だから、しよ」

「……えっ?」

 言葉の意味がよく理解できなくて立ち竦む紫龍に、シュラは優しいキスを施してやる。

「肌の熱さはてっとり早い真実だから、

お前がお前を考えなくても、もっと簡単にここに在れるぞ」

「……」

「お前が考えていること位、お見通しだって」

「云ってることと、していることに大きな隔たりがあるような気がするんですけど」

「気のせいだよ」と、うるさい口を塞ぎながら、

次第に抵抗を止めたその体のシャツのボタンを手早く外し、

胸をまさぐり始めた手がぴたりと止まった。

「紫龍……、お前」

 潤んだ瞳が、シュラを見上げる。

「もうちっと胸を付けた方がいいんじゃないか?

これじゃあ、ないのと同じだぞ。まあ、なくても触り心地はいいけど」

「そんなことより、」と、さり気ないアッパーカットで、

シュラの腕を抜け出しながら、紫龍がつんと唇を尖らせる。

「ゲームの方は終わったんですか、シュラ。

俺たちにはこんなことをしている時間はないんですから……」 

「お前の勝ちだよ、紫龍」

 勝利をあっさり認めてしまうのが悔しいのか、

それとも続きが出来ないのが哀しいのか、シュラは淡々と事実だけを述べる。

「縦に動かしても、斜めに動かしてもどこに逃げても、同じだ。

外部からの攻撃に対しては99・9%の防御だな。あの星。大したもんだよ」

「そりゃあ、俺が作ったんですもの。当たり前です」

「ただし、」黄金聖闘士は言葉を続ける。

「お前、内部に掛ける防衛機構を全部外に廻しただろう。

ありゃあ内部からの暴動にはメチャクチャ弱いぞ。

一つ崩れたらあとは坂道を下るよりもずっと早く、砂時計は落ちきるぞ」

「それは大丈夫ですよ、シュラ」と、紫龍が微笑った。

「だって、それは絶対にない事なんですから」

「世の中に絶対なんて事はありえないって、お前が云ったんだろうが。

現にカミュの金髪が外れ掛かっているだろう。後、黒くて短いのも……」

「氷河と一輝です。いい加減、名前くらい覚えてください」

「お前が正しく、呼ばれないのにか?

紫龍。それとも、桜ちゃんて呼んで上げようか」

「シュラだって、胸が付いている女の子の方がいいくせに」

「男の子と女の子だったら、女の子がいいけどな」と、ウインクを一つ。

「一ダースの女の子のより、お前の方がいいぞ、俺は。あいつらと違うから」

「氷河と一輝は、贅沢で我儘なんですよ。

大事なものはきちんと側にあるのに、いや、きちんと見つかってるから、

次の刺激を探しているのかも知れませんけど」

 彼らが聞いたらその毒に卒倒しそうな台詞を、

煙草を吹かすように、吐いていく。

「飴とムチです。あんまり優しい世界はすぐに退屈になって、

捨てられてしまいますから。俺みたいに」

「それで結構、ぴーぴー泣いていたくせに。羊だって何匹数えたことか」

 瞬間、紫龍の頬に赤みが走る。

が、それ以上云ってもただの言い訳にしか、

シュラは受け取ってくれなさそうなので、(実際、言い訳のだが)止める。

「でも、もう大丈夫ですよ、俺」

「お前の大丈夫なんて、政治家の減税政策よりあてにならないぞ」

「でも、俺にはシュラがいますから」と、にこにこと。

シュラが茫然となる。目が・になりながらも、シュラは視線を外せない。

 そんな男に紫龍はもう一度、微笑む。

「俺にはシュラがいるから、大丈夫なんです」

 シュラは優しく紫龍の頭をこづいた。

「それは例え、発動しても……俺がいるから平気って事か?」

「“俺”をあの中に組み込めば、あの星が赤くなれば、

内部機構の数字だってもっと跳ね上がりますよ。

あんまりしたくはないですけど……」

「ああ」と、シュラは後から優しく紫龍を抱き締める。

「そうだな」

 何もない部屋だった。灯りといえば小さなスタンドだけ。

パイプベットと、衣装が少し入っている低いタンスの上に、

二本のローズピンクの口紅と、柑橘系の香水。小説が少し。

 それから、青い青い地球にいた星と、

それを一緒に飽くまで見つめてくれるシュラしかいない部屋であった。

 いつのまにか、雨が降り始めていた。

霧のような雨だった。

細かい水滴は世界全体を包んでいるようで。

シュラはその雨に濡れないように、紫龍の側にいれくれた。

シュラに抱き寄せられたまま、

その雨の調べを聞いていた紫龍が呟いた。

「……俺、雨って結構好きなんです」

「ふーん」

「雨っていうのか、水が好きなんです。何だか包まれて優しい感じがして」

「それでか?」

「えっ?」

「いや、この世界、決まり切ったように四日に一度は雨が降るだろう。

それもざーざー降りじゃなくて、しとしとしと、

うざったわしいって云うか、お前の涙みたいな雨が降ると思っていたら……。

あいつなりに気を使っていたんだな」

 はははは、と、困ったように笑ってから紫龍は「皆、怒るかな」と、云った。

「怒るって?だってあいつら気が付いてないじゃん」

「彼らじゃくて、聖域の方ですよ。

俺、思い切り期待から横道外してますから。

女神の命には背いてませんけど……」

「後悔しているのか?だったら、この遊戯から降りてもいいんだぞ」

「そんなじゃないんですってば」

 と、シュラの上でゆっくり目を閉じる。

「ただ、なんとなくそう思っただけなんです」

「……まあ、怒るだろうな」

 と、シュラは云った。

「お前を真実に愛して、想って慟哭して悶えている者なら、

ひっぱたいてもお前を此処から連れ出すだろうな」

「……シュラは?」

 その問いに男はそっと、笑った。

「俺はお前の思うままだよ、紫龍。永遠にな」




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