どんよりとした雲がたちこめる肌寒い午後のことであった。天気予報は東京では珍しい雪の来訪を告げていた。
そんな中で、苦手な寒さにもめげずに、とんとんという軽やかなトンカチを鳴らしていた一輝であったが、ふと、その手を止めて、薄いグレーのコート姿の紫龍に問いかける。
「何だ、デートか?」
「そんなじゃない」
と、云いながらも紫龍はにこやかに笑っている。
「ただ氷河が、沙織さんの用事が早く終わりそうだから、待ち合わせでもして水族館にでも行かないかって。割引券が丁度あるんだと。俺も買い物があるし」
「そーゆーのをデートって云わないか」
「夕飯のオカズを買いに行くんだぞ。―――そうだ、何がいい?」
「気にするな。夕べの残りの鍋を雑炊にでもして、食っておくから」
まるで一輝自ら腕を振う云い方であるが、実際のおさんどん係は瞬や星矢である事を知っている紫龍は難色を示した。
「だが・・・」
「たまには外で二人で食ってこい」
もちろん、チョー一番肝心な一言を付け加えて。
「ごるびぃにもメシをやっておくから、心配するな」
「・・・そうか?」
紫龍は鈍くも意地が悪くもなかった。一輝がごるびぃモロゾフ4世と二人きりに為りたがっていることを察した。
氷河を屋敷に戻したくない一輝と、氷河と少し二人きりになりたい自分。紫龍は素直に厚意に甘えることにした。どうせ、一輝は甘えるなんて思ってはいないだろうが。
代わりに提案を一つする。
「そうだ。明日の夕飯、どうしようか?」
返答は即座にあった。
「チゲ鍋。肉入りでな」
「判った。楽しみにしていてくれ」
先刻より足取りも軽やかな紫龍の後ろ姿がすっかり見えなくなると、一輝は大きな舌を出す。
―――甘いぞ、紫龍。
居て欲しく無いのは氷河だけではない。動物愛護の念も強い紫龍もなのだ。
「兄さん、本当に精がでるねえ」
と、瞬がコーヒーを運んでくる。
「ごるびぃの為に犬小屋でも作って、自分の部屋にでも置いておくの?」
「それはもうやっておる。入ったタメシが無いがな」
単になんてコメントして良いか判らなかっただけであるが、一輝はその沈黙を降参と受け止めた。
「教えて欲しいか?」
「そりゃあ、もう」
理由は犬の為とはいえ兄が家に居ることにご機嫌の瞬であった。
「これはな、犬ぞりだ」
「・・・・」
「もちろん、インターネットで作り方を検索した。便利だな、あれ」
「すごいや、兄さん!!」
恐らく一輝が思っていることと正反対の気持ちを込めていたが、瞬はそう云った。辛うじて。
「でも、マジウマイじゃん。本場そっくし(動物のお医者さんでしか見たこと無いけど)山口達也なんてメじゃねえな(本当、今度、星の子ガクエンの日曜大工、手伝って欲しいよ)なっ、俺にも遊ばせてくれよ(コレは超ホンネ)」
「ハハハハ」
瞬や星矢の裏を読みとらない、案外と素直な大きなお兄ちゃんは軽やかに笑った。
「構わんぞ。仕上げが済んだらな」
「仕上げ?」
「そうだとも。もちろんペンキは赤だ、俺のシンボル、フェニックスの色、炎の色にソリを塗らなくてはな」
はっはっはと、もう一度、豪快に笑うと、一輝の脳裏にははっきりと雪の上を赤いそりを引くごるびぃの灰色と白が見えた。
ごるびぃの凛々しいまでの勇姿。(女の子だけど)そして、そのごるびぃにムチを奮いつつ、雪の原を地平線に向けて軽やかに走る自分―――。
「・・・出来ない」
一輝の膝ががくっと折れた。ばうんと、ごるびぃがおっぽをぷりぷりさせながら、打ちひしがれた男に微笑みかける。その表情はマリアのような高貴さと慈愛に満ちていた。(一輝視線)
一輝にはぎゅっと彼女を抱きしめるしか出来なかった。
「俺に出来るはず無いじゃないか。ごるびぃをムチで奮うなんて、残酷なコト、俺には出来ないっっっ」
「・・・・」
「・・・んじゃあ、俺もダメだよね」
兄さんと、ほろほろと涙が止められない瞬と対称的に至ってクールな星矢である。
「で、どうすんの?このソリ」
「ふっ、こうなったら・・・」
一輝はおもむろに携帯電話を取り出した。
「まさか、あんなに快く送りだしておいて紫龍を呼び返すつもりなの?いくら何でも可哀相だよ」
「そーそー、今日は取りあえず聖バレンタインなんだし」
「ばれんたいん、だと」
一輝の目がギョロッと光った。
「日本中の若人が本来の意味も知らず、手作りチョコに呪いを込め呪術で相手を意のままに操る日だろうか」
「うわ、何て今時、ベタな間違い」
「ともかく、そんな浮ついたイベントを日本男児が雁首揃えて祝うもんでもなかろうがっ!!」
「わうん?」
と、ごるびぃがじっと一輝を見た。その黒い澄んだ瞳で。
「フッ、ごるびぃよ。これはな、二人を悪徳から護るために必要なことなんだよ」
「・・・うわん?」
「ごるびぃだって、あの二人が好きだろ?」
「わんわん」
漸く意味が判ったことにごるびぃは激しくしっぽを振り、足をばたばたと踏みならす。その無邪気な様に一輝はふと誘惑にかられた。
「そいで、ごるびぃはアホタレでこましで無愛想ですっとこどっこい(この辺で止めておくか)の”ひょうきち”とお前に犬小屋を造り今日は大好きな犬まっしぐらを二缶もやる俺と、どっちが好きだ?」
「・・・うわん?」
「すまんな」
一輝はこの愛らしい存在をぎゅっと抱きしめる。
「家族の中で好きの優劣を決めさせるような莫迦なマネをさせて。―――本当にイイコだな、ごるびぃは。紫龍と違って」
「・・・兄さん、思いきり比較対象が間違っているよ」
「・・・聞こえるように云ってやれば、瞬?」
「どうして?」
すでに離れたところで、まったりとくつろいでいる瞬と星矢である。
「だって、どうせ聞こえないよ」
「それもそうだ」
「って、折角、兄さんが夢の世界に居る間に方針を決めておかなきゃ。どうする、星矢?」
瞬の言葉に星矢は溜息を付いた。
「―――俺さあ、本当は美穂ちゃんとデートするはずだったんだけど、今日になっていきなりドタキャンされてさあ」
「振られたの?」
「邪魔が入ったの。絵梨衣ちゃんがインフルエンザに掛かって、それの看病だって」
「ふーん、執念だね」
うんうんと、星矢は頷いた。
「氷河のコイビトの存在が知れる迄は素直でカワイコだったんだけどさ、絵梨衣ちゃん」
「でも、どうせペラペラしゃべっちゃったのって、君でしょ」
うっかりその通りなので、星矢は又溜息を付くしかなかった。
「美穂ちゃんには黙って置いてねって頼まれたんだけどさ・・・。へへ。ま、あっちに遊びに行ってもいいけど、デスのおっさんが未だ居るし、どうぜ手伝わせられるのがオチだもんな。―――瞬、お前は?」
「うーん、なんてゆーか。やっぱり愛って試練の果てに試されて、昇華されて、淘汰されて、やがて輝くエトワールでしょう。そう思わない、ごるびぃ?」
「くわん?」
「そーゆーワケですから、兄さん、ぽちっと電話を掛けて下さい。短縮ボタンでぴぴっと」
「よく云った、瞬。さすが俺の弟だっっっ!!」
珍しく3人の気持ちが一つになる。だが、しかし。ボタンを押したケイタイ電話から聞こえてきたのは哀しいくらいに無情なアナウンスだった。
「どうした、氷河?」
くしゃんと、珍しい氷河からの効果音に紫龍がちょっと目を丸くする。
「風邪か?」
「いや、そんなはず無いが・・・」
どちらかといえば、ウワサの的に心当たりはいくらでもある。
例えば今日はバレンタインで、紫龍とデート出来ている状況がそうだ。
だが、それが紫龍と一緒に居られるということだ。くしゃみ位を気にしたら、きりがない。
「そうか?」
でも、まだ不安が隠せない紫龍の額にキスをして、―――平日の水族館、そして、外にあるペンギン舎の前に居るということで、他に人影はない。「ま、こうしていれば温かいからな」
だが、引き寄せた肩はさっさと笑顔で解かれ、代わりのように紫龍の手が氷河のそれに絡まった。
「―――本当、しょうがない奴だな、お前は」
ぎゅっと、思いの外に力強く―――。
所謂、公共の施設では携帯電話の電源を切りましょうと云う話。
あるいは、少しだけ Happyバレンタイン。
氷河の、紫龍のラブラブの彼氏として、またはごるびぃの偉大なる飼い主の存在感がますます高まっていくにつれ、
なぜか出番がどんどんへっていくという奇妙な反比例現象が、ますます氷河ファンを、氷河への愛に駆り立てるスバラシイシリーズです。ふふ。すげい。
ちなみに、すべてのシリーズに挿し絵つける目標が、まったく追い付いてなくてすいません。がんばります(純子)
「alter ego」のさちこさんからのリクエストが、
犬ぞりで遊ぶ一輝ということだったので、
書いてみました。・・・だって、どうしろと云うんだ。(>_<)
そしたら、純ちゃんが「一輝も作る前にシュミレーションしろよ」と。
そんなことしたら、話が成り立たないじゃんじゃなくて、
その時は気が付かなかったのよ。人は夢のイイ面ばかりを見るから。
そーゆーことにして下さい。
絵梨衣ちゃんは直前に読んだ「私立T女子学園」の影響がありあり。
バレンタインの当日、唯一カレシが居る普通のカワイイ女の子を
あの手、この手の泣き落としや無理な用事を作って、
皆でカレシの元に行かせまいとするの。
まー、女の子ってそーゆートコありますよね。
いや、この場合、男もだけど。(笑)
時節がらに負けてというか、ちょっと氷河紫龍したかったので、
肝心の犬ぞり話の方が短い気がしますが、ご愛敬ということで。(しなっち)