この処の紫龍はずっとうなされていた。

朝になれば変わらずの紫龍がそこに居るのに、夜になると苦しそうな声が耳元に届く。

悪い夢ならすぐ覚める筈だと思っていたから。気にしていなかったのに。

三日も続くと流石に紫龍の身体が心配になる。こんなことは今までになかったのに。

静かに寝具を抜け、ベッドの上へ上体を起こす。

決意をしてから、俺はいつものように先に寝て紫龍が寝静まるのを待っていた。

特に何も起こらない。

寝息は静かで、あまりに静かでその等間隔な呼吸に、やがて眠気まで兆してきた。

「大丈夫だな。」

心配し過ぎた。と元の体勢に戻そうとした時、

いつもなら寝相の良い紫龍の身体が、軽い寝返りを打ち始めた。

それはなんだが紫龍らしくなくて、あんまりにもその回数が多いから、肩を揺らそうとした。

けれど、唇から漏れた声に思わず手をひく。

「氷河・・・。」

(どうした。)

と喉まで出た声を止め、夢見の人と話してはいけないと言われたのを思い出す。

そちら側の人になってしまうから。

言葉のようで、言葉にならない呟きがしばらくしたかと思うと。

紫龍の眼の端には見る間に涙の粒が溜まった。

「紫龍!!紫龍起きろ。」

「氷河。」

頬の輪郭を伝って流れる水は、慌てて紫龍の上体を支えた俺の掌を濡らす。

「起こしたのか?悪かった・・。」

薄暗闇を見据えて俺を確認しながら、まず謝罪を言葉にした。

「夢見たんだろ。」

軽く頷いて。

悪かった。さあ、もう寝よう。

と言いながら、抱き抱える俺の胸を押し返す仕草をする。

「紫龍。おまえ、ここ最近ずっとうなされてる。」

「そう、なのか?」

「何の夢見てるんだ。」

少し大人しくなって、紫龍はやっと身体を俺に預けた。

寒い夜の中を待っていたせいで、紫龍の体温は随分暖かに感じた。

気持ちが静まるのを待つつもりか。腕の中にいる想う人はじっと動かずにそのまま。

俺はその間を目の慣れてきた闇から窓の外を眺めて、やはりじっとせざるを得なかった。

「氷河。」

「ん。」

「この処ずっと。変な夢を見ていたんだ。」


長い時間が流れている。

城戸の庭は、少しだけ前より緑が多くて、その中を紫龍と氷河は並んで歩いた。

いや正確には並んで歩いたことを覚えている。という感覚。

横に歩いているのは、確かに氷河なのだ。

それを自覚しているのに、横を見てはいけないような気がした。

「紫龍。」

「何。」

「顔を見せてくれないか。」

「嫌だ。」

「最後なんだ。」

「嫌だ。そう言って、皆行ってしまったんだ。」

「困らせないでくれ、紫龍。」

紫龍は振り仰ぎ、天を見据えた。何故誰もが行ってしまうのですか。私を置いて。

「もう何十年も、おまえのことを見てきたんだ。これからも見つめるさ。」

やっと紫龍は声の主を見た。

年齢相応になって年老いた氷河。

その背は随分小さく見えた。

「氷河。」

「おまえは昔のままだな。」

蒼い眼だけがそのままで、その澄んだ眼の中には、何十年と変わらない自分が映っていた。

年を重ねることを身体が拒否してしまっていた。

それが今の紫龍。

氷河の声を聞きながら、空気だけはどんどんと時間を経過していっていた。

「氷河。」

抱きしめたはずだった声は、風になって消えてしまった。

氷河も消えてしまった。

後には何も残らなくて、ただただ、主を失った広い庭だけが眼の前に広がるので

紫龍は声を上げて泣いてしまった。

そうしている内に心持は何年も何年も立っていたような気がした。

「それでも、俺は忘れられないんだ。

氷河。」

そうやって呟いても、そよぐ風ばかり涙を乾かして行くから。

痛みを持つ心ばかり。

「紫龍!」

なんて、懐かしい声だろう。

声のする方はそう遠くなかった。眼の端の涙が邪魔をして相手の顔が見えない。

でもしっかりとした呼び声は、明らかに時を止めて紫龍の腕を取った。

「氷河?」


どうしていいか判らなかった。

眼の縁に溢れている物が止まること無いので顔を上げることもできず、

ただ愛しい人の胸に顔を預けたまま自分を悩ませた夢の正体を明かした。

「なんだか。おまえらしいな。」

「そう、思うか?」

「そう思うよ。

もし仮にそんなことがあったとして

おまえがたった一人残されたくないと思うなら」

「…」

「俺は迷わず、おまえを殺してもいい。」

顔を上げた紫龍。

氷河の口からこぼれ出た意外な言葉はそれでいて新鮮だった。

「どうする?」

「殺して欲しい。」

「その時が来たら。な。」

死ぬこととかそういう全部を分け合って生きてきたんだ。

おまえだけ置いていくなんてことが出来る筈が無い。と氷河らしい応えが返った。

むしろ、紫龍にはそれが心地良かった。

例えばそれが、氷河の本当の気持ちではないとしても。

「一緒に死ぬと言ったのは、氷河。おまえだからな。」

「そうだったか?」

「ああ。」

笑うことが出来た。

こんな簡単なことなのに、それすら恐れた紫龍は、もう一度。氷河の鼓動を聞いた。

「紫龍。」

氷河は改めて紫龍の顔を覗き込んだ。

微笑んだまま瞳閉じて、疲れたように眠っている。

良い夢を見て欲しいと望みながら、ごくごくたまに感じるどうしようもないくらいに愛しい感覚。

失いたくないと思っているのは本当は

「俺の方かもしれないな。」

おまえが居ることで、強くなれたのかもしれない。

こんな夜に。

例えば。苦しい夢を見たとしても、そこにはきっと優しく差し伸べる手が待ってる。

これからもずっと。互いに。

忘れずに居よう。と夜に誓った。


ヲハリ





月子様

「JUST」様の1500番を踏んで頂いたSSです。
(ちょっと多すぎるね、自分)
でも、リンク先は月子さん、HP「life」の方です。(笑)

リクエストが「氷河を忘れない紫龍」という、
今、考えれば難問を上手にしかも美味しく調理なさって下さいました。

自分の想いを言葉にするのが氷河で
一見、押しつけのように思えるかもしれないけど、
言葉に出来ないだけで紫龍も同じことを想っているんじゃないかなあと。

だから、こう態度で示してくれる氷河が好きなのね、紫龍。
てへっ。だから、有事の際は殺してやってね。←おいおい。

月子様、どうもありがとうございました。


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