「ただ今」
「お帰り」いつ聞いても心が和む声だが、
今日ばかりは感嘆せずにはいられなかった。

「―――まだ、起きていたのか？」　　　　　　
　もう、12時をとっくに回った時間で早寝早起きを信条とする
彼にしては奇跡（もちろん、二人きりの場合はその限りではないのだが）
というより、明日は雨かもしれない。

「衛星の映画劇場を見ていたら風呂に入るの遅くなっただけだ」と、
バスタオルで丹念に長い髪に付いた水分を拭き取る紫龍は随分と
そそられる存在で、しかも身につけている緑色のパジャマが、二人で
買った唯一のペアルック（ちなみに氷河はブルー）というのも、いい。

ずっとこうやってこたつの上にぺたったと顔を付けたまま紫龍を
見ていたかったが、おもむろに兄は立ち上る。
「氷河もいいお湯だから入れば」

「そうだな、今、入れば残り湯だしな」
　確かに力一杯の親父ギャグだが、何も蹴を入れなくても。
「・・・で、何を見ていたんだ」
「“英国式庭園殺人事件”。―――ビール、飲むか？」

「飲む」と、云う返事を見越してか直ぐ様、
ほっぺに冷たい缶ビールが当てられる。それを受け取って、
一気に飲み干す。

「『ぷはっ、この一杯の為に生きているって感じだよな』って、
誰が云ったんっだっけ？」
「『お前だろ、お前』。―――ああ、俺の撮るからお前のビデオは
抜いておいたから、・・・そう、そこの一番、上」

　漸くビデオを巻き戻しながら、氷河は少し意外な顔をする。
「珍しいな。ビデオを撮っているのに、ベットに入らないなんて」
「うん、でも、失敗をすると泣きを見るからな」
と、紫龍は悪戯に微笑むが、本当に泣いたのは―――

　何処かの一番上の莫迦兄貴がえばって買ったＴＶには衛星チューナー
が内蔵されているが、ビデオには入っていなかったため、
城戸家では衛星チャンネルの録画にはさり気ない手間がかかる。

その一つにＴＶの電源は消さずにスリープ状態というのがあって、
ちなみに前の晩から結構、楽しみにしていたその映画を取りそこなった
要因はうっかりと誰もいないことをいいことに、居間でいいことに及ぼう
とした氷河が、ＴＶの主電源をぶちっと切ってしまった為で、

あの後、真っ黒のビデオの代わりに、近所のレンタル屋を探し回って、
実物を捜し出すまでＨは厳禁されてしまった自分の方だと思う。
　それはさておき、ウィーンとビデオを巻き戻す音がやけに耳に付く。

「―――もしかして、皆、居ないんだな」　　　
「うん、瞬と星矢は学校のスキー合宿で、沙織はお友達の所。
一輝は仕事で遅くなるとか云っているけど、彼女の所じゃないかな」
「ああ、エっちゃんね。いい加減、長いよな。あそこも」

「・・・・・結婚しないのかあ？」
「金がないんじゃないのか」
　兄曰くは畜生道に陥ったもーほな弟達が心配だからというのは、
彼女に云わせると踏ん切りが付かないだけらしいのだが。

「彼女、いい人なのにな」
―――いい人？紫龍の言葉にはほとんど逆らわい、
歯向かうのはＨの時だけの氷河だが、この言葉は疑問詞が付く。

　一輝と付き合っているのだから、悪い人ではないが、
いい人と思もえない。口ではうまく云えないが何かを知っているようだし、
強いて云うなら夜遅くご主人さまが帰宅すると、
それより遅く帰ってきて有無を云わさない、そのくせスィートテン・
ダイヤモンドは欠かさせない、絶対に尻を引くタイプで・・・・。

　あれっと、ドライヤーを使わずに丹念に首を傾げながら髪を乾かす
紫龍をぼっと見ていた氷河はある考えに取りつかれる。
「えーと、もしかして、待っていたのか？」
　そうゆうことを平然と口に出来るところが相変わらずすごいと思う。

その癖このパジャマを着ている意味なんぞまるで判かってないところが。
返事の代わりに紫龍はリモコンのスイッチを押すと、
「明日も学校があるんだから、ほどほどにしておけよ」
さり気ない矛盾を口にして、
「お休み」と、今度は頬に温もりが残る。

　バイトであろうと何であろうと、一日、二時間のピアノの自主レッスン
さえなかったら、とっくに押し倒しているものを。惜しい。
などとぼぉーっとしている間に、ＥＤが流れパズルは少女の形になり、
次回の予告が始まろうとしている。

・・・ぐびっと、紫龍がくれたビールを最後まで飲み干して、
仕事（とは云えないかもしれないが）の時間の前に
ふぁあと大きな欠伸が出る。

　一人で家に帰って、一人でビールを飲んで、一人でＴＶを見て、
一人で風呂に入って、ピアノの練習をして、寝る。
そして、朝になって紫龍に叩き起こされる。それはいつもと変らない。

なのに、その当たり前の繰り返しがほんの少し、ほっとする夜。
本当は新しい楽譜を買いに行こうと思ったのだが、

―――やっぱり、明日は早めに帰ってこよう。　

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ＥＮＤ