手を延ばせばそこに氷河が居てくれる。キスしてくれる。
世界を二人だけにしてくれる。いや、二人だけになっていく。
そして、一つに交わる、ぐじゅぐじゅっと、無くなって、溶けていくのに、
永遠になるのに、

       どうして、一人に戻らなくちゃ、いけないんだろう。

 その意外な先客に瞬間、氷河の顔が強ばったように見えたのは
沙織の気のせいでないだろう。

 その証拠にいつもだったら無視を決め込むのに、
珍しく彼の方から声をかける。
「何をやっているんだ、こんな時間に」

「その質問はそっくり返すわよ。いいこと、氷河。夜っても朝に近いか、
とにかく3時すぎたら無用の詮索は不要よ。
こんな時間にベットにいないのは貴方みたいに眠れないのか、
原稿しているかのどちらか何だから」

と、どんと氷河の前に青い湯呑みが置かれる。
「はい、特別」「あっ、悪い」ずずっと飲む。
紫龍が云っていたが人間(神様だけど)誰しも特技と云うものがあるらしい。

「美味しい?」そう小首を傾げる少女に、
「紫龍には負けるけどな」
「やっぱり」それきり少女も自分のお茶に専念する。鳩時計が四つ鳴る。
気まずいというのではないにしろ、森閑とした空気が流れる。

何より円らな瞳が氷河の一挙一動を見つめていて、
しかし、少女は何も云わない。昔は敵対意識しか存在しなかったが、
この頃は随分と改善されて一種の親近感さえ沸いてくる。

それでも紫龍以外には無関心な自分が、この少女だけには、
そういった優しい感情を持つ意味を氷河はあえて考えようとはしなかった。

どちらにしてもさけて通りたい人物には変わりないのだ。
天敵というよりは苦手。かかわりあいは女神と聖闘士の関係だけでいい。

取り敢えず、この場から逃げようと、一気に飲み干し、
ご馳走様と頭をきちんと下げて、
そそくさと立ち去る男にお嬢さんが突如、口を開いた。

「ねえ、紫龍から聞いたんだけど、あの人が貴方を口説いたって本当?」
 一瞬、それが何を意味をするか判らなくて、慎重に言葉を選ぶ。
あくまで顔はポーカーフェイス。

「あいつがそう云ったのか?」
「ひっかかったわね」
うふふと一本勝を決め込んだ少女はすこぶる機嫌がいい。

「紫龍は何にも云わないわよ。首筋のキスマーク隠しながら、
ただ、秘密って微笑んでいただけ。でも、あんなに付いていちゃあ、
秘密も何もないわね。まあ、証拠物件を見付ける前から判っていたけど」

「知っていた……?」
 そう、と、沙織はすました顔で答えた。
「だって、あの人の視線の先にはいつも貴方が居たから。
貴方を探しているくせに、視線が合うと真っ赤になって反らしちゃうくせに、
すぐ追い掛ける、―――そんな紫龍をずっと見ていたから」

 どうして、そのことに気付いてしまったかは、この鈍感な二人に云っても
無駄なので、代わりに別の仕返しをする。

「でも、氷河、べたべたとキスマークをシールみたいに張りつけて、
本当は見せびらかしたかったんじゃないの。氷河って、
“私はレースを編むのよ、私の横にはあなた、あなたが居て欲しい”って、
カラオケ屋で絶叫しちゃうタイプだもん」

 その問いに、「ごちそうさま」と、丁寧に両手を合わせる。
「けち」「秘密にするのがあいつとの約束だしな」
「んじゃあ、どっちが口説いたかだけでも教えて、
このままじゃ気になって夜も眠れないわ」

「お前、俺達はお前のお気にいりの小説の主人公じゃないんだから」
「いいじゃん、減るもんじゃないんだから」
「減るんだよ」と、云うよりもったいない。
 だから、秘密にしたのだ。言い出したのは確かに紫龍だったが、
了解したのは氷河だった。

―――何もかも一人いじめしたくて。     

  こうなることが自然だったから言葉はなかった。
ただ、終わった後、シーツに横たわされた紫龍は
蜘蛛の巣に引っ掛かった哀れな蝶にも、
天使に抱かれた罪人のようにも見えた。

その罪を彩る赤いしみを見付け、氷河はしみじみと息を漏らす。

「初めての相手って、男でも流れるもんだな」
 単にそういう風に作られていない穴に無理にねじ込んだから、
傷が付いたとせいとは考えられないが、
その想像も出来ない痛みに耐えた紫龍に、愛しさが募る。
そういう意味であったが、そうとは受け取られなかったらしい。

「女の人って、初めてだと血が出るのか?」
「ああ」と、答えて思い切りしまったと思った。
これじゃあ、遊び人(実際、そうだったのだが)みたいではないか。

「でも、女とすんのあんま、好きじゃないから。
―――いや、別に男とすんのが特に好きって理由じゃないから」
 あっ、これも思い切り不適当な表現だった。何だか体目あてみたいだ。

「女とやると一番最初の奴を思い出すから、イヤなんだ」
「最初?」ちょっと、面白くなさそうな、それでもまだ踏み込めないと
諦めている表情が可愛くてつい、唇を奪ってしまう。
「そう」

だからかもしれない。キスの合間の息継ぎに、その言葉が出てきたのは。
「俺の母親」
誰にも一生、しゃべるつもりのなかったその秘密を、
紫龍は顔色一つ変えずに見つめていた。
 
と、云うのはあくまで氷河の主観で、紫龍は紫龍でこの時、
小さな脳味噌がくるくると動いていたらしい。
起き上がって、でも、やはりどうすることも出来ずに氷河を見つめるだけ。

折角だからその膝に思い切り懐く。見上げた紫龍の頬に掛かる髪を退かす。
ついでにもう1つおまけも付けてみる。

「そして、それが俺が一番、初めに殺した奴だよ」
「殺したって……」

「実際に手を下してやれば良かったんだがな。そんな度胸も力もないから、
救けることも出来なかった。
―――本当は救命ボートに空きはあったんだよ。
だけど、あいつは乗らなかった。それ所か俺に誘いを掛けた。

『マーマと一緒に此処に残りましょう。だって、氷河は大好きだものね』って。
その手を振りほどいて、俺はボートに乗った。
―――俺だって、あいつの言葉が本当なら一緒に心中してやったんだがな」

「本当?」
「愛しているって、何度も囁いた言葉。愛は合ったけどね。
俺は子供として愛されたんじゃない。愛する男の身代わりとして、
愛し、愛された。―――どうする?」    

「えっ?」突然の問い掛けに戸惑う紫龍に、氷河は答えた。
「俺はお前を殺しちゃうかもしれないって、ことだ。
だから、―――どうする?」 
「どうもしないと」と、ぎゅっと抱き締められた。

「家族ってよく判らないから、本当は何も云っちゃいけないかもしれないけど、
でも、居ないより居る方が絶対にいいと思う」
「息子にH、教えるような女でもか?」

「でも、氷河のことを慈しんでいた。
だって、氷河のことを殺そうとしなかっただろう。
最後の最後まで生きることを望んでいらした。
だから、お前は此処に居るんだろう。
―――それに一番、大事なことを忘れているよ、氷河は」

「何だ?」「氷河は今でもお母さまのことを大好きだってこと」
「―――ああ、そうだ」           

 その優しい微笑みに素直にそう云えた。涙さえ伴って。
本当に忘れていたのだ。ずっと誰かを愛したかったこと。
それを失いたくないことに。

触れるとずっと怖かったものを漸く、抱き締めることが出来る。
広げられた手は御使いの羽に似て。
今ならばこの白き翼で紫龍を包むことさえ簡単に、そして全てに感謝出来る。
自分を生んでくれた母親にも。その運命にも―――。

 半開きになったカーテンから、聖なる月の光が顔を出し、
紫龍を照らしてた。静かな寝息。
きっとこんな安らかで素直な子供の寝顔を見たのは、
もしかしたら、誰も居ないかもしれないと思うとそれだけで胸が甘くなる。

 もし、女神と紫龍のどちらかを救けなくてはならないのならば、
迷うことなく紫龍を選べる。何よりも代えがたい、護るべき、愛しき者。
例え、どんな罰を受けようと。

 その顔に少し零れた白い雫を拭い、氷河はそっと同じ毛布に沈み込む。
こうやって他人と眠る日がくるとは思わなかった。
紫龍の温もりを受けて雪が溶けていく感じがする。
ただ、それだけのことに気が付くのが遅すぎた。

「お休み、紫龍」と、その唇に接吻をしようとした時、黒い瞳が見開かれる。
「どうかしたのか、こんな夜中に?………悪い夢でも見たかの?」
「いや、ちょっと水が呑みたくなってな」
 そう云いながらも、毛布を弾き止せて、
氷河の指が紫龍のパジャマをぱっくりと割る。

「それにしちゃあ、随分、手間取っていたな」
「お嬢に捕まっていたから」「沙織さん、何て?」
 その質問には答えないで、氷河は広げられた紫龍の体に触れる。
欲情のスイッチに触れる。触れながら、少し不安そうに紫龍を見る。

「俺、何か寝言か何か云っていたか?」
「?いや、別に。どうかしたのか………」   
 それには答えずに、氷河は強くそれよりもさらに赤い舌を其処に寄せ、
歯を立てた。

「―――あっ、でもな」           
「何?」鎖骨の辺りを彷徨っている唇を気にしないように、
さり気なく云ってみる。
「今、やったら絶対、朝に響くと思うぞ」

「そうだな」と、先刻の余韻か、まだ充分、潤んでいるそこに、
氷河の情熱を伝えてやる。その熱にうなされて、
紫龍の爪が柔らかいシーツの上を滑る。

「ひょっ、が」と、切れ切れの誰も知らない紫龍が氷河を求めている。
―――多分、こうなることが判っていたから、秘密にしていたのと思う。
 

 シャワーを浴びて、キッチンに降りると冷めてしまった朝食を前に
紫龍だけが居た。
「先、食べていても良かったのに」
「嘘つき」いつものくせを云ってから、しまったと思うことを
何時だって紫龍は魔法使いみたいにマイナスをプラスにしてくれる。

「でも、一人で食べたくないだろう」 
 その辺りは恵まれているのか、子供の頃から、聖衣を得て、
現在に至るまで、食事まで一人きりということはない。
「んじゃあ、遠慮なく頂きます」「えっ?」

 その蒼に見惚れて、何が起きたか一瞬、反応が遅れる。
気が付いた時にはその唇を愛していた。更に、我に帰った時には、
何時の間にか皿が綺麗に避けられて、自分が横たわっていた。
本日の少し早いメインデッシュ。

「ちょっと……」
「でも、お前も俺と同じことを望んでいるんだろ」
そう簡単にさばけない生きのいい銀の魚を、
真実という刃物で切り刻んでいく。

「何時だって俺のことだけ見つめて、俺のことしか考えられないくせに」
「どうして、お前って、口が裂けないんだろうな?」
「だって、嘘は云ってないから。舌も抜かれないぞ」

その言葉にうつむいて黙ってしまった紫龍の顔を向けさせ、
氷河はぺろっと涙の痕が残る頬を舐め、唇を吸う。
軽い戯れのはずが、うっとりと紫龍が目を潤ませる頃には、
「じゃあ、行くぞ

「何を云っているんだっ」朝日溢れる、しかもキッチン、
此処は家族共通の場だ。いつ誰が入ってくるかもしれない。
こんな所を見られたら……、
なのにその羞恥の言葉は氷河の口付けの中に消えていく。

「……紫龍」ただ、いつもと同じ氷河の声なのに、もう、何も出来なくなる。
「ちょっとっ」すっと足の間に差し込まれた手に紫龍が声を上げる。
「氷河、止め………っ。だって、ご飯、食べてないだろう」

 だが、その柔らかな手の感覚に紫龍のそれが意志と関係なく動きだす。
「―――氷河」段々、掠れ息も上がっていく下の
お口に氷河が白く濡れた指を銜えさせる。
「………紫龍」「あんっ、」そう耳元で呼ばれただけなのに、
思わずその指を噛み締める。

 覚えている。次に何が起こるのか。氷河が何を与えてくれるか、
その癖いつも新しい疼きが紫龍を待っている。
もしかしたら、自分の身体よりも氷河の方が良く知っているかもしれない。

良く響く場所を。使い込まれたバイオリンのように。
判っているからこそ抵抗が出来ない。目で辺りを伺う。
影はない。音もない。
それを確認すると紫龍はそのまま氷河に委ねる。

絡み合う舌は息をすることさえ忘れていた。
腕は氷河から離れないように制約を受けていて、
自由にはならないが、それは密かな紫龍の願いでもあった。

「何してんの?」
 別に計ったわけではないが。
丁度、扉の影になっていて、瞬の位置からこっちは見えない。
それをいいことに、

「今、手を離せない」と、言い切ってから、
離せないのは別の所だと気付いて、先に奥へ進んでいく。
奥へ、奥へ、奥へ、まだ見知らぬ地へ。

 幸い行為に没頭している紫龍は
啼くので精一杯で人には気付いていないようであった。
とは云っても瞬に気付かれてしまったら、ゲームオーバーなので、
鳴り響くバイオリンを指で押さえ付ける。

すると切なげな息と一緒に舌がちろちろと動く。時々、歯も発てる。
どちらにしても手が離せない。
ので、此処は開き直って平然と構えることにする。

「何か用か?」
「もう、廊下の掲示板に書いてあったでしょう」と、言い切る瞬は、
クラスの女子の口うるさい学級委員のようであった。
「今日は野球大会でしょうが」

 その聞き慣れない単語に、氷河はもう一度、問い掛けた。
「今、何か云ったか?」
「野球だよ、ベースボール。
沙織さんが町内会の野球大会に申し込んじゃって……、
あの人もミーハーだからね」それさえなければと、云いかけて
優等生は任務を思い出す。

「とにかく、ブロンズ全員揃って人数、ぎりぎりなんだから。
氷河も早く来てよ」
 氷河は黙って空を見上げた。
雲がぽっかりと浮かんだ青い空が広がっている。
「でも、―――暑いだろ」           
「終わった後、ビールが美味しいよ」「それが?」

 その侮蔑よりももっと心臓をえぐられる素朴な疑問に、
誰よりも敬愛する兄がホイップ生シュワシュワ飲み放題だからに釣られて、
「えー、だせい」と、言い切る星矢の耳を引っ張って
いそいそと出掛けてしまったなど云えない。
仕方がないので実力行使に出る。

「でも、これは女神の命令だよ。この頃、氷河が塞ぎ込んでいるから、
ぱあーと華やかに青空の下で弾けようと……」
 その心だけ受け取っておこうと思う。

「ねえ、何をしているの?」流石に不審に思ったのか、
瞬が戸口から顔を覗かせる。
 
氷河はまだ繋がったままの紫龍を抱き上げる。
「逃げるぞ」と、真っすぐ前を見つめる。
「あっ、氷河」
 そう叫んだ時には、ガシャンと窓ガラスは破れてしまっていた。
 














































































































































































































































































































































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