その日の夕飯は信じられない位の沈黙に襲われていた。わざとらしい明るい話題もすっと、

消えていくような闇だ。始めはそれなりに努力していた瞬と星矢も、

震源地が震源地なので諦めることにする。一輝とお嬢なのだ。

何も云えずに沈黙だけが食卓を支配しても仕方がないのだ。おまけにこういう時に、

温かいフォローを入れてくれる紫龍がやはり黙ったままなので、雰囲気は一層重いものになる。

そうなると各々、自分の部屋に帰るのも早いもので、八時を回る頃にはすっかり静まり返ってしまった。

(……でも、ないか)ほんのわずかに感じられる小宇宙と、暗唱してまった歌に紫龍はそちらの方を向く。

 前は夜ともなると盛り場をうろついて、夜半過ぎ、下手をすると翌朝になっても

帰ってこないことがあったが、この頃は落ち着いたもので、家で寝ている方が多い。

居れば居たで又、小さないざこざが紛糾しそうであるが、氷河の場合、睡眠を邪魔しないか

日本語の勉強という名目の児童向けTVアニメのビデオを見せておけば静かなものである。

要は子供と同じで、然したる問題は起きてなかった。

朝のモーニング・コールがフルボリュームの『ゴメンネ、素直じゃなくてーー』になってしまったのも、

ちょっかいを出した星矢が凍り付けになって以来、黙認されている。

 紫龍も目が見える頃に、誘われて一緒に観覧したことがあるが、

女の子がきゃあきゃあ云ってるだけで30分過ぎてしまった印象しかない。

「面白かったか?」そう聞かれ、

「誰が誰だか判らないからな」と、答えたら、その後たっぷり三時間、視聴するハメになった。

日本語の勉強と、云う割には相変わらず、言葉には不自由しているようだし、

うっすらと涙を浮かべている時もあったから、その辺も定かではない。

 ただ、そうやって涙を流している時、そっと差し出したちり紙に、氷河はぼそっと答えた。

「……違うからな」

「何が?」

「いや、この声がただ単にマーマに似ているから。ちょっと……」

「じゃあ、そういうことにしとくな」

「……」そのまま、真っ赤になった氷河が、何も云わずにビデオを消して憮然と部屋に戻ったが、

翌日も又、いつのも調子で誘ってくるので、何度かそんな風に氷河と夜を過ごしたことがある。

だが、それだけでたわいのないおしゃべりが繰り返され、酒が少し入り、

そのままベットで寝入ってしまい朝、慌てて自分の部屋に帰るというだけであった。

 もちろん、氷河とこんな風に穏やかな時間が過ごせること自体、特筆すべきことであると、

紫龍は気付いていない。それから、自分がこんなに安らかに眠れる日々が続いていることも。

「……氷河」紫龍はなるたけ小さくその名を呼んでみた。 

別に、氷河の大事な時間を邪魔しようとか、そうゆうのではなくて、

ただ背中を少し丸めて食い入るように画面を見つめているだろう氷河と同じく空気を吸いたかった。

 だが、氷河はくるりと後を振り向くと、

「お前も聞くか?」と、云った。

「いや、そーゆーんじゃくて……」

 取り敢えず、布教に専念してしまうのが趣味を持つものの誰でもの特徴である。

「………なあ、新しい女の子、出たんのか」      

「うん、天王星と海王星。その内、冥王星も出るってさ。よく判ったな」

「声でな。でも、……」と、紫龍はしみじみと云った。

「彼女たちも大変だね……」

「……俺達の方が大変だと思うが」

 紫龍はそうゆうことを云いたかったのではないので、黙って氷河を見る。

 氷河もちょっと間抜けなことを口走った思って黙り込んでしまう。

「……」

「……」

 そして、合いの手のように『ゴメンね 素直じゃなくて』と、いつもの歌声があった。

『夢の中なら云える』

 くすくすと、小さな笑いが二人から零れた。

紫龍はもしかしたら、今ならば云えるかもしれないと思った。

「あのな」氷河の視線はおわつらえむきにTVに向いたままだ。

「………俺、一度、五老峰に帰ろうと思うんだ」    

『思考回路はショート寸前』

「えっ?」氷河は何を云われているか、判らなくて、慌てて振り替える。

 すると紫龍がいつもの、晩ご飯の準備をしているお母さんのようにそこにいた。

 あんまり幸せそうなので、気分が『だって純情 どうしよう ハートは万華鏡』になってしまう。

いや、そうじゃなくて……。と、氷河が顔色変えずに一人でパニくっていると、

紫龍はくすりと微笑んだ。

『同じ地球生まれたの ミラクル・ロマンス 信じているの ミラクル・ロマンス……』

だから、そうじゃなくて……。

 氷河はビデオを消すと一気に夜の闇が二人を襲った。紫龍はもう一度、笑顔を見せると、

此処じゃあ、なんだからと云った。

「前から考えていたんだよ」

 相変わらず余計なものは何もない、ただ緑のにおいがする紫龍の部屋で、

一杯のミルクティーで少し落ち着いた氷河に、紫龍はようやく語り始めた。

「冥界の事も報告しなきゃあならんからな。ついでにこの目を一回見せてみろと、

老師も前々からおっしゃていてな。ついでに目が治れば万万歳だろ」

漸くその踏ん切りがついたんでなと、紫龍は穏やかに微笑む。

「氷河のおかげだ。ありがとう」

「……」

「それに、今ならこの家も大丈夫かなって思って」

 何を基準にその言葉が漏れたか、判らないが紫龍の言葉はいつも不思議な説得力がある。

 第一、紫龍がそれを決心し、望むのならばそれを束縛する権利は氷河にはない。

「………気をつけて云ってこいよ」         

 それがベターな言葉である。それでも、表情を凍り付かせた氷河に紫龍は優しく微笑んだ。

「云っておくけど、留守にするのはせいぜい十日くらいだからな」

「えっ?」

「それ以上はさすがに不安だからな。聖域だってどう動く判らないし。

冥界だって本当に約束を守ってくれるか定かじゃないし……」

 すぐ帰ってくるよ。近所の商店街に行く気やすさで紫龍は言葉を綴る。

「だから後を頼むぞ。お前だって一応、“お兄ちゃん”なんだからな」

 氷河にこうゆうことを頼むのも、何だかへんな感じだが、一輝はきっと勝手にやるだろうし、

他にいうべき人物がいないのでしょうがいない。

 すると氷河はその言葉に目をぱちくりさせてから、

「あのな、紫龍。少し動かないでくれ」と、云った。疑問を挟む間もなかった。

「こうか?」と、紫龍はすぐそうしてくれる。

 その素直さを、健やかな心を一体、何人の人間が慰められたのだろう。

 だから、今度は氷河が支えになる番なのである。肩を押さえ、そうして、氷河は紫龍にそっと唇を寄せる。

「……氷河っっ」
 
びっくりして離れようとした時には、もう氷河は明後日の方だった。

「きっと、血の繋がりって奴はこーゆーことして、近親相姦になるか、ならないかだ」と、

氷河は云った。いつものように普通に真面目だった。

「だから、ちゃんと帰ってこいよ」

「………うん」と、紫龍は小さく頷いた。自然に笑顔になるのが判る。

「ありがとう。氷河」





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